スペシャル 夢をつなげ!B&Gアスリート

No.021:伊藤 有希選手(スキージャンプ女子 二度の冬季オリンピックに出場)北海道下川町の期待の星!
世界に挑み続ける女子スキージャンパー

2018.06.19 UP

伊藤 有希選手 北海道下川町の期待の星!世界に挑み続ける女子スキージャンパー

プロフィール

伊藤 有希(いとう ゆうき)

北海道下川町出身のスキージャンプ選手。
1994年5月生まれ。北海道下川商業高等学校卒業後、株式会社土屋ホームのスキー部に所属。
幼少期、スキージャンプ選手であった父の影響で、下川町スキー少年団に入団したことをきっかけに同競技を始める。当時は、下川町B&G海洋センターのプールで泳いだり、B&G財団が主催した「B&G海洋体験セミナー」にも参加した。
2014年のソチオリンピックは7位、2018年の平昌オリンピックは9位という結果に終わったが、自身が9位となった平昌オリンピックでは、ライバルの高梨沙羅選手がメダルを獲得した際、高梨選手の下に駆け寄り、自分のことのように喜び涙した彼女の姿は、日本国民の胸を熱くした。現在は、2022年に控える北京オリンピックに向けて、日々トレーニングに励んでいる。

スキージャンプ競技について

ジャンプ台と呼ばれる専用の急傾斜面を加速しながら滑り降りて(助走)、そのまま角度の付いた踏み切り台から空中に飛び出し、専用のスキー板と体を使ってバランスをとり、滑空する。その飛距離と姿勢の美しさ、「美しく、遠くへ跳ぶ」ことを競う競技。

前編:目標があるから

- スキージャンプの魅力を教えてください。 -

 道具を使って空を飛ぶことは、多分、誰にでもできることだと思うのですが、生身の人間が自分の力だけで空を飛べるっていう感覚は何にも代え難いものがあると思います。スキージャンプは、その空中感覚が味わえることが一番の魅力じゃないかなって思います。

 競技を始めた頃は、全然立って着地できない時期もありました。2~30本滑っても、1~2回しか立てなくて、着地した際、すぐ背中をついて転んでしまっていました。その時は、怖くはなかったですけど楽しくもなくて。ただ、「なんで立てないんだろう、早く立てるようになりたい!」という気持ちで何度もスタート台に登っていた記憶があります。

まさにスキージャンプで飛んでいる様子の写真

 競技人生の中で一番楽しかったといえるのは、小学校高学年の時期です。どんどん大きなジャンプ台に挑戦していた頃ですね。やっぱり台が大きくなるにつれて飛んでいる時間が長くなるので、自分が飛んでいるって思う時間が長くなるんですよね。その時期はほんとに楽しかったです。

- ジャンプに楽しさがある一方で、ヒヤリとしたことはありますか。 -

 やっぱり、天候が影響する競技ですから、飛んでいる最中に突風が吹いたりすると抵抗できませんので、その瞬間はヒヤッとします。何の支えもありませんから。
 でも、私は今まで大きなケガもないですし、大きな転倒もないので、本当に順調にスキーができていると思います。今のところ、捻挫すらしたことないです。(笑)

- 競技を続けてきて、これまでで一番大変だった、苦しかった時期はありますか。 -

 大変だと思ったことはありません。どんなに苦しいトレーニングでも自分がどれだけ調子が悪くても、それは大変なんじゃなくて、それを乗り越えた先にもう一つ進化した自分がいると思って競技に取り組んでいます。その状況を乗り越えることで次に進めると信じているので、大変とか辛いと感じることはないですね。

 でも常に、「どうしたらもっと遠くへ飛べるようになるんだろう」と悩んでいます。 そういった悩みを忘れて何も考えず、体が勝手に動いて飛ぶことができる時は調子が良いんですよ。でも、ジャンプが崩れてくると考えて、悪いところを直さないといけないですし、先の大会を見据えて練習をしています。

ジムでトレーニング中の伊藤選手の様子

伊藤選手の練習風景

- スキージャンプを始めたきっかけは何ですか。 -

 競技を始めたきっかけは、父と地元環境の影響です。下川町は、すごく田舎で、冬になるとスキー場ぐらいしか遊ぶ場所がないんです。両親がスキーをやっていたこともあって、小さい頃からスキー場にはよく遊びに行っていました。

スキーを始めた頃(1歳半頃)

スキーを始めた頃(1歳半頃)

 それで、スキーが上達してくると、子供なので飽きてきちゃうんです。そうしたら、その横にジャンプ台があって、そこを楽しそうに飛んでいる人達がいたんです。その姿に憧れてジャンプを始めました。

 また、私の父は、役場で働きながら地元のスキー少年団のコーチもしています。その父の影響もあったと思います。子供たちに付いてずっと合宿や遠征に回っていたので、ほとんど家にいませんでしたけど。(笑)

- お父さんは普段はどんな人ですか。 -

 役場の仕事に加えて、スキー少年団の活動があったので、とても忙しい父でした。少年団の練習が終わった後も、役場に戻って仕事をしていました。なので、私が家にいる時や起きている時に、父が帰ってきた記憶がほとんどないんです。

スキー少年団のコーチも務める伊藤選手のお父さん

スキー少年団のコーチも務める伊藤選手のお父さん

 それでも家にいるときは、「もういい」って言うまでずっと遊んでくれましたね。でも、ここぞというときは、すごく厳しい父でした。もう、父が怒ったら終わりみたいな感じでしたね。家ではいつも母が怒るので、父はあまり頻繁に怒ったりしないんですよ。だから、父が怒ったときは本当に怖くて、「もう終わりだ」みたいな感じでした。

 私、弟が1人いるんですけど、一度、私が弟を馬鹿にしたことを言ってしまったことがあって、その時はすごい剣幕で怒られました。

 少年団にいるときは、コーチとして私に接してきました。子供って、誰かがふざけ始めると、周りも一緒になってふざけ始めることってあるじゃないですか。それで、いつも皆で怒られていました。(笑)

- 下川町スキー少年団でスキージャンプを指導している竹本コーチについてお聞きしますが、彼はB&G財団が養成した水泳指導者の1人でもあります。伊藤選手にとって、どんな方ですか。 -

 竹本さんは、父が競技をやめて下川町でスキージャンプの指導者を始めたときの選手だったんです。その時の竹本さんは下川商業高校でスキーをやっていました。私にとって、最初はコーチではなく、お兄ちゃんのような存在でした。

 その後、競技をやめられて、下川町にスキージャンプのコーチとして町に来られました。やっぱり竹本さんも世界で戦ってきた選手だったので、競技に対してすごくストイックな考えを持った方です。一流アスリートの目線で、選手として意識が高まるよう指導をしてくださいました。

- 競技を続けるために、モチベーションを高め、持続するよう心掛けていることはありますか。 -

 私の場合は、続けるためにモチベーションを高めるわけではなく、モチベーションとなる目標がいつまでもあるからこそ続けられるのだと思います。 今回の平昌オリンピックでメダルを獲得することが目標だったのですが、かないませんでした。だから今は、4年後の北京オリンピックでもう一度メダル獲得することを目標に、日々の練習に励んでいます。

 たぶん、目標がなくなると、私は競技を続けられないと思います。どんなに辛い練習でも、練習すれば強くなれると思うからできるわけで。たぶん目標がなければ練習にも耐えられないと思います。練習する気にもなれないと思います。

 私は物心がついたときから、同郷の先輩たちが私と同じ環境で練習して、世界で活躍している姿を見てきました。だから、私も先輩たちと同じ場所で練習していれば、いつか世界で活躍できるんじゃないか、という気持ちになるんです。小さい頃は、自分の才能とか考えないので、先輩たちと同じ場所で練習しているから、世界で活躍できるんじゃないか、という気持ちになって、その頃からオリンピックで金メダルを取るという夢を持っていましたね。

同郷の葛西選手との写真

同郷の葛西選手との写真

- 下川町はなぜスキージャンプが盛んなのですか。 -

 今まで全国各地を見てきた中で、下川町は、スキージャンプを続けることや強くなる環境としては、世界一ともいえるんじゃないかと思っています。

 下川町は、北国で初雪も早いですし、4月まで雪が残ります。ナイター設備もリフト設備も整っているので、毎日朝から晩までスキーの練習ができるんです。いつでも歩いてジャンプ台に行くことができるので、スキージャンプ競技をする立地としても恵まれていると感じます。

 また、練習環境だけでなく、町全体でスキージャンプを応援してくれる自治体なので、町に出ると、皆が「頑張れよ!」と声援を送ってくれますし、後援会を作ってくれたりもします。

 下川町は、年に2~3回、ひと晩で1m以上雪が積もることがあります。本来、選手たちが自らジャンプ台を整備して練習を始めるのが普通ですが、下川町は、地元ボランティアの皆さんがジャンプ台の整備を手伝ってくれて、早く練習を始めることができます。
 このように、町全体でスキージャンプ選手を育ててくれる環境があるからこそ、競技が盛んになるのだと思います。

- 下川町にはスキージャンプの"レジェンド"葛西紀明選手兼監督がいますが、接点はありましたか。 -

 同じ下川町出身の先輩ということで、とてもお世話になっています。最初は、私が幼稚園生のとき、下川町のスキージャンプ後援会が主催する激励会で、監督に花束を渡したのが初めての出会いでした。

 私にとって、監督は雲の上の存在なので、私から話しかけることは滅多にできません。でも、大会の時になると、いつも監督から話しかけてくれて、それが本当に嬉しいですし、今でも憧れの存在です。

 同じ土屋ホームのスキー部に入ってからは、プライベートでもお世話になっていて、監督の奥様が「トレーニングしながらご飯作るのは大変でしょう」と、手料理を作ってくださって、監督の家までご飯を食べに行ったりもします。また、ジャンプのフォームに関しても、監督の手の平のフォームを真似てみるなど、私に合う部分は参考にさせていただいています。

※後編に続きます

(文:鈴木 慶

下川町B&G海洋センターの写真

海洋センター(プール)は下川町の中央部にあり、スポーツセンター、テニスコート、柔道場、弓道場、総合グラウンドに隣接しており、休日には、利用される方が多く見られます。