スペシャル 夢をつなげ!B&Gアスリート

No.002:小堀 勇氣選手(リオデジャネイロオリンピック競泳男子4×200mフリーリレー銅メダリスト) 母の言葉を励みに、メダルを取ることができました!
2016.12.08 UP

取材当日には、リオオリンピックで獲得した銅メダルを持参していただきました

プロフィール 小堀 勇氣(こぼり ゆうき)
1993年11月生まれ。石川県能美市出身。4歳で水泳を始め、小学4年生のときにジュニアオリンピック50mバタフライ2位入賞。小学6年生のときには同大会自由形50m、100m、200mの3種目で優勝。中学時代に世界ジュニア選手権800mフリーリレー3位入賞。高校時代には17歳で日本代表チーム選出。大学生時代にロンドンオリンピック800mフリーリレー日本代表となり、続くリオオリンピックでは同種目で3位入賞を達成。現在、ミズノ株式会社CS事業部スポーツプロモーション部 水泳競技課 所属。

第1話:大会に出る以上、結果にこだわりたい!

目の前に現れた良きライバル

スイミングクラブに通うお姉さんの後を追って、4歳のときから水泳を始めた小堀 勇氣選手。最初はまったく泳げず、水に入ることも怖いと感じたそうですが、周りの仲間が元気に泳ぐ姿に刺激を受けて頑張り続けました。

その甲斐あって、小学生になってからはいろいろな大会に出場するまでに上達し、3年生のときには初めてジュニアオリンピックに出場。翌年、4年生で臨んだ同大会では50mバラフライで2位に入ることができました。

「そのとき1位だったのが一歳年下の萩野公介君で、以後、いろいろな大会で隣同士のコースになる間柄になっていきました。とはいっても、なかなか彼に勝つことができず、彼が出ない大会でも2位に甘んじることが多かったので、いつしか大会で勝つことを意識しながら日々の練習に励んでいきました」

目の前に現れた強力なライバルを目標に掲げ、スイミングクラブのある地元を離れ、お父さんの実家(石川県旧富来町。現:志賀町)に家族で里帰りした際も、練習を続けたくて地元の志賀町富来B&G海洋センターに足を運んだ小堀選手。やがて、そんな努力が報われる日がやってきました。小学6年生のときに出場したジュニアオリンピック自由形50m、100m、200mの3種目すべてで、見事、優勝に輝いたのです。

小学4年生のときに出場したジュニアオリンピックで準優勝を果たしたときの小堀選手。ここからオリンピック選手への道が切り開かれていきました


疲れ知らずのスイマー

ジュニアオリンピックで3種目を制覇した小堀選手。ところが、スイミングクラブのコーチはまったく褒めてくれませんでした。このときから、コーチはオリンピックを目指す選手になってほしいと願い、そのためには1つの結果で一喜一憂していてはいけないと考えていたからです。

小堀選手の魅力の1つは身体の大きさにありました。小学6年生の時点で身長が170センチもあり、中学1年生では181センチにもなっていたのです。そんな恵まれた体格を生かして中学生になってから一気に記録が伸びていき、中学1年生のときに出場した全中(全国中学校水泳競技大会)1500m自由形では、自己ベストを20秒も縮めて2位に入る活躍を見せました。

「このときのレースはいまでもよく覚えています。いくら泳いでもまったく疲れない不思議な感覚がしたので、すごく印象に残っているんです」

身体の成長に伴って、泳ぐたびに自己ベストが塗り替えられていった小堀選手。やがて、15歳で出場した2008年の世界ジュニア選手権大会800mフリーリレーで銅メダルを手にするとともに、続く2009年のジュニアパンパシフィック選手権大会では200mバタフライで金メダルを獲得。2010年には17歳ながら800mフリーリレー日本代表の補充選手に選出され、その後、2012年には同リレーのロンドンオリンピック日本代表選手として世界の晴れ舞台に挑むことになりました。
※第2話に続きます

ジュニア時代の小堀選手(3コース)。まだ幼さが残る頃の写真ですが、小学校高学年時から身長がどんどん伸びて自己ベストが次々に塗り替えられていきました


志賀町は能登半島の西側に位置し、海洋センターの周辺は増穂浦海岸や厳門・ヤセの断崖等の観光地があことから、夏場は大勢の観光客で賑わいます。
小堀選手は幼少の頃、石川県の強化合宿や帰郷の折に、富来海洋センターで練習をしていました。
平成27年3月にリニューアルオープンし、町の健康づくりの拠点として活用されています。