連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 104

いつまでも、力いっぱいカヌーを漕ぎ続けたい!

2014.10.01 UP

~同じ海洋センターの水面から世界に羽ばたいた2人のカヌー選手~

琵琶湖と水路でつながる、滋賀県近江八幡市の小さな湖、西の湖。その湖畔に建設された近江八幡市安土B&G海洋センター艇庫は、一般住民を対象にしたカヌーの普及に利用されているほか、複数の地元高校カヌー部が合同で練習の拠点にしており、今日までに3人の日本代表選手を輩出しています。
その2人、八日市南高校から立命館大学を経て、社会人となった現在も世界の舞台に立ち続けている小梶孝行選手と、八幡商業高校時代から世界に挑み、現在は同志社大学に進んでインカレ制覇をめざしている坂田 真選手にお会いすることができましたので、これまでの振り返りや今後の抱負などについて語っていただきました。
※第1~2話:小梶選手 第3~4話:坂田選手 第5話:地元のカヌー指導者 饗塲忠佳氏の順で、ご紹介していきます。

プロフィール
● 近江八幡市安土B&G海洋センター

平成8年(1996年)開設。水路で琵琶湖に隣接する西の湖の湖畔に艇庫を設け、一般利用に加えて周辺地域の複数の高校カヌー部が練習拠点に活用。これまでに3人の日本代表選手が育っている(今回取材の小梶、坂田両選手。ならびに現在、日本体育大学在学中の中村由萌選手)。また、西の湖周辺のヨシ路は水郷めぐりの名勝として琵琶湖八景の一つに数えられており、カヌーツーリングやキャンプが楽しめる。

● 饗場 忠佳(あいば ただよし)第5~6話

昭和33年(1958年)生まれ、滋賀県出身。滋賀県立長浜農業高校時代にボート競技(ナックルフォア)でインターハイ優勝、国体準優勝。その後、同校で13年間教鞭を執り、ボート部顧問として教え子をインターハイや国体の優勝に導く。平成7年、県立八日市南高校に異動してからはカヌー部の設立に尽力し、近江八幡市安土B&G海洋センターを練習拠点に他校を含む地域指導者として活躍。これまでに、小梶選手や坂田選手など多くの優れたカヌー選手を育てている。

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第5話カヌーに魅せられたボートの指導者(饗場 監督 前編)

悔いが残った国体準優勝

高校時代の饗場さん。中学時代はバレーボール部で活躍しましたが、高校に入ってからはボートで頭角を現していきました

 中学時代はバレーボールの活動に励んだ饗場さん。ところが、地元の長浜農業高校に進学すると漕艇部に入り、まったく触れたことのなかったボートの練習に明け暮れました。

 「高校に進学した際、バレーボール部もありましたが、あまり強くなかったので他の競技をしてみようと思って漕艇部を選びました。理由は簡単で、いろいろあった運動部のなかで漕艇部は強豪校として知られていたからです」

 部活に打ち込むのなら強い部がいいと思った饗場さん。さっそく学校の近くにあった琵琶湖に通って練習に励んでいきました。

 「カヌーと同じように、ボートも努力の積み重ねがそのまま結果に表れるスポーツです。練習をすればするほど速く走れるようになっていくので、夢中になって練習を続けていきました」

高校2年の佐賀インターハイで3位に入ったときの饗場さん(手前左)。ナックルフォアの選手として活躍しました


 カヌーやボートの練習は嘘をつかないと語る饗場さん。高校時代はナックルフォア(4人乗り)で活躍し、2年生のときにインターハイで3位入賞を獲得。3年生になると見事に優勝を果たすことができました。

 「ボートは高校でやり尽くした感があったので、大学に進学してからは勉強に打ち込みました。ただ、高校時代に出場した国体では準優勝が最高位だったので、優勝を逃したという悔いは心のどこかにありました」

 その心残りは、大学を出て教師になってから解消することができました。ボートを始めた母校、長浜農業高校で教鞭を執ることになり、13年間の在任中に何度か漕艇部の監督を務めながら後輩を指導。その結果、教え子たちがインターハイや国体、日本選手権の新人の部などで次々に優勝を果たしてくれたのです。

 「高校時代に私が忘れてきたものを、後輩たちが届けてくれたような気持ちになり、とてもうれしく思いました」と振り返る饗場さん。そんな良き思い出とともに、平成7年、饗場さんは13年間過ごした母校から、現在、赴任している八日町南高校に異動していきました。

カヌーとの出合い

長浜農業高校で教鞭を執りながら漕艇部の監督として後輩を指導した饗場さん(左)。右は国体で優勝した教え子、柿木選手

 長浜農業高校に赴任していた際、饗場さんは昭和61年に開催された山梨国体の会場で初めてカヌーに乗る機会を得ました。

 「このとき、私は滋賀県の漕艇選手団の監督として会場の河口湖に行きましたが、そこで仲の良かった愛媛県の高校漕艇部の井出先生からレジャー用のカヌーを譲ってもらいました。当時、彼は四万十川でカヌーの川下りを楽しんでいたため、私にも趣味で楽しむカヌーを勧めてくれたのです」

 井出先生は、饗場さんのために愛媛県からカヌーをクルマに積んで河口湖まできてくれました。そこで、さっそくカヌーに乗った饗場さんは、ボートとは違った乗り心地に驚きの声を上げました。

 「まず、前を向いてパドルを漕ぐことが新鮮に感じられました。後ろを向いて漕ぐボートと違って進む方向の景色が次々に目に入ってくるわけですから、実に楽しいと思いました。また、ボートよりも態勢が水面に近いため、水に自分の体が触れているような感覚を楽しむことができました」

 初めての経験ですっかりカヌーを好きになった饗場さん。山梨国体が終わってからは、井出先生に譲ってもらったカヌーをボートの練習場所に置いて、休日などに乗って楽しむようになっていきました。

手探りの活動

大きな艇庫と広い芝生の敷地を持つ近江八幡安土B&G海洋センター。饗場さんは、ここを練習の拠点としながら多くの優れたカヌー選手を育てていきました

 こうしてカヌーと出合った饗場さん。平成7年から八日市南高校で教鞭を執るようになると、同校に漕艇部がなかったこともあり、饗場さんは心機一転、新たに覚えたカヌーを生徒たちに広めたいと考えました。

 「後ろ向きに漕ぐボートは初心者には難しく、艇体も長くて扱いにくく、保管するにも艇庫が必要で、桟橋やポンツーンがなければ出艇できません。その点、カヌーのパドリングは比較的簡単に覚えられるし、艇体もボートほど長くはなく、家の軒下でも保管できるうえ、桟橋がなくても浜辺から出艇できる自在さがあります」

 さっそく、生徒を集めてカヌー部を設立した饗場さん。八日市南高校は琵琶湖から少し距離があったため、近くの貯水池を借りて練習を始めていきました。

 「それまで私は遊び程度にカヌーを乗っていたわけですから、人にカヌーを教える面ではまったくの初心者でした。また、集まった部員にしても初めてカヌーに乗る生徒ばかりでしたから、生徒たちと私で『ここはどうする?』と言い合いながら手探りで練習を進めていきました」

 細長いレーシング艇に乗ってバランスを崩して沈をした饗場さんを、生徒たちが助けに行く場面もあったという、生まれたばかりの八日市南高校カヌー部。試行錯誤の練習が貯水池で繰り返された後、平成8年になると思わぬ朗報が舞い込みました。地元にある西の湖のほとりに近江八幡市安土B&G海洋センターの艇庫が完成したため、そこを拠点に練習することができるようになったのです。

海洋センター艇庫で地元の高校生を指導する現在の饗場さん。八日市南高校カヌー部をはじめ、周辺地域の各高校カヌー部もここに通って饗場さんの指導を受けています

 「地元にカヌーの指導者がいなかったため、海洋センターのカヌー活動を私が手伝うことになり、カヌー部も艇庫を利用できるようになりました。もちろん西の湖なら貯水池よりはるかに広い練習水面が確保できますから、私たちは海洋センターができたおかげで思う存分練習に励むことができるようになりました」

 近江八幡市安土B&G海洋センターには大きな艇庫に広い芝生の敷地があり、専用のポンツーン(浮桟橋)も設置されています。そんな充実した環境のもとで饗場さんがカヌーの活動に力を入れていくと、やがて日本代表に選ばれるような優れた教え子が次々に生まれていきました。(※第6話に続きます)