連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 98

年間を通じた活動で、子供たちにふるさとの良さを伝えたい!


右から、連携を提案した海洋センター職員の村川さん。ともに手を携えた「ふるさと探検隊」の小野さん、金子さん(事務局長)、町田さん

2014.03.06 UP

他団体との連携で活動の輪を広げた、B&G生月海洋クラブ

長崎県西部に位置する、南北約10キロ、東西約2キロの細長い形をした生月島(平戸市生月町)。昔から漁業が盛んで、かつては沿岸捕鯨も行われて賑わいましたが、近年には少子高齢化が進み、この15年間で地域の人口が約25%減少。子供の数に至っては50%以上も減ってしまいました。
そのため、昭和60年に開設された地元の生月町B&G海洋センター、クラブの利用者数も次第に下降線を辿りましたが、現役、およびOBのB&G指導員に地域のボランティアが加わり、地元で活動している生月自然の会「ふるさと探検隊」と海洋クラブの連携が実現。ともに手を携えて双方の事業を行うことで、これまで夏場が中心だった海洋クラブの活動が一気に年間型に拡大していきました。「いまでは、新しい艇庫を建てる気運も高まっています」と気を吐く関係者の皆さんに、活動の経緯や今後の展望などをお聞きしました。

プロフィール
● 平戸市生月B&G海洋センター(長崎県)

昭和60年(1985年)開設(体育館・上屋付プール)。島の中心部にあって野球場に隣接しており、地域のスポーツ、健康づくり拠点として機能。特に夏場は、出前授業で地元小学校の水泳指導に力を入れている。

● B&G生月海洋クラブ

昭和59年(1984年)に設立。漁業倉庫を艇庫として借りて活動を続け、地元に密着した活動を展開。2年前からは生月自然の会「ふるさと探検隊」と連携して多岐にわたる活動に励んでいる。

● 生月自然の会「ふるさと探検隊」

地元博物館の館長でセンター育成士OBの金子 証氏が事務局長となって、地域の文化や歴史、自然を学ぶさまざまな活動を展開。島の子供たちに地元の海を学び体験してほしいと、海洋クラブの活動と連携するようになった。

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第1話島の子供たちを海に出してあげたい!

海事思想の普及がキーワード

倉庫を借りて活動を開始した当時の海洋クラブ。椅子に座っているのが金子さんです

 いまから30年ほど前、旧生月町(平成17年の市町合併以降は平戸市生月町)に、海洋センターの体育館とプールが建設されることになり、住民の誰もが期待を寄せました。

 「本当は艇庫も欲しかったのですが、海洋センター周辺地区の海は外洋に面していて波が高く、子供たちの活動に向かないということで、残念ながら見送られました」

 そう振り返るのは、町で初めてのセンター育成士(現:アドバンスト・インストラクター)として海洋センターの運営に10年間携わり、その後、町の博物館の館長を務めながら「生月自然の会」の事務局長として、「ふるさと探検隊」などの事業を推進するようになった金子 証さんです。

 「いったんは皆があきらめた艇庫でしたが、海洋センターの建設が始まると、やはり子供たちにヨットやカヌーも乗せてあげたいという声が高まりました。そこで、保護者やアウトドアが好きな有志が集まって海洋クラブを立ち上げ、地元の漁業会社と掛け合って空いている倉庫を借り、そこに器材を置いてヨットやカヌーの活動を始めていきました」

 倉庫は大きな漁港のなかにあったため、波が高い日でも港内で十分にOPヨットやカヌーを楽しむことができました。漁港を使うには漁業協同組合の了解を取らねばなりませんが、金子さんをはじめとする海洋クラブのメンバーは組合と交渉を重ねて許可を得ることができました。

 「借りた倉庫は、海洋クラブ員の親が社長をしていた会社の所有物だったので、トントン拍子で話が進み、使用料も格安にしてもらうことができました。また、港内の水面を使うことに関しては、『子供たちがカヌーやヨットを通じて海に親しむことは、その子たちが町の漁業を継承してくれることにもつながる』と言って組合に理解を求めました」

海洋クラブができてから20年間は、クルマに器材を積んで浜に向かい、車内で着替えをして活動を楽しんだものでした

 最初は渋い顔をしていた漁師さんたちも、子供に海を親しんでもらう活動であるという説明を聞いて、「それはいい」と納得してくれました。金子さん曰く、「海事思想の普及」という言葉が決め文句だったそうです。

 「沖縄の指導者養成研修を通じてB&Gプランを学んでいたので、ごく自然に『海事思想の普及』という言葉が浮かびましたし、四方を海に囲まれた日本にとって、その言葉がどれだけ大きな意味を持つかについても、組合の人たちに十分説明することができました。また、プールや体育館が開設されると、漁師さんやその家族の皆さんも利用するようになったので、同じB&Gの事業ということで海洋クラブに対する理解度も高まっていきました」

ローボートの生月

平成14年からは、地元の中学校が総合的な学習の時間でカヌーを体験するようになりました。皆、漁港内の穏やかな水面で元気よく活動しています

 漁港の倉庫を拠点に誕生した、生月町B&G海洋クラブ。その活動は港内の水面ばかりでなく、外海の波があまり入らない浜辺に器材を運んで行うことも増えていきました。

 「こうして活動は軌道に乗っていきましたが、海洋センターの職員は私を含めて2人しかおらず、プールや体育館の仕事もありましたから、どうしても子供たちの面倒を見てくれるボランティアの大人が必要でした」

 そこで金子さんは、消防署の人たちに声を掛けました。消防士なら、安心して子供たちの安全管理を委ねることができるからでした。

 「発足当初の海洋クラブは、子供が40人以上、保護者などの大人も5~6人いて、50人ぐらいの大所帯でした。そのため、一度に20艇ぐらい出ることもあって、とても安全管理には神経をつかいましたが、消防士などのボランティアの皆さんの協力もあって順調な活動が続いていきました」

 あくまでもクラブの拠点は舟艇を保管する倉庫だけだったので、浜辺で活動する際はクルマのなかで着替えをしなければなりませんでしたが、子供たちの操船レベルはどんどん向上。やがて、ローボートではB&Gの全国大会で何度も優勝を手にするようになり、いつしか「ローボートの生月」と言われるまでになりました。

1人で悩むのは、やめよう

 クルマのなかで着替えをしながら海に親しんだ海洋クラブの子供たち。活動を始めて20年ほど過ぎると、倉庫のある漁港の近くに更衣室を備えた海水浴場ができたため、町と折衝してシーズンオフなど、そのときの状況に応じてクラブでも利用できるようになりました。

 「海水浴場は防波堤や波消ブロックで囲まれているで、安心して活動できますし、なにより更衣室で着替えができるようになりました。また、20年の実績で町内にも活動が知れ渡り、こうして少しは環境も整ったことから、やがて地元の中学校が総合的な学習の時間でカヌーを体験するようになりました」

海水浴場ができて活動の場が拡大。人口が減るなかで、村川さんはクラブ活性化を道を探っていきました

 そう語ったのは、先任の金子さんの後を継いで平成7年から海洋センターの仕事に就いた村川安亨さんです。カヌーに乗る総合的な学習の時間は現在も続けられていて、話を聞く限り活発な活動の様子がうかがえますが、実は村川さんには大きな懸念材料がありました。

 「平成10年から昨年までの15年間に地元の人口が激減し、子供の数に至っては50%以上も減ってしまいました。また、昔に比べて、いまの子は海で遊ばなくなっています。こうした現状に何とか対処していかなければ、海洋クラブも衰退してしまいます」

 "人口が減っているのだから海洋クラブの活動が減っても仕方がない"そんな理屈はまったく考えずに、解決策を探って知恵を絞っていくと、1つの出口が見えてきました。それは1人で悩まず、この悩みに共感してくれる他の団体と力を合わせることでした。
(※続きます)