連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 97

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2014.02.05 UP

B&G広報大賞で全部門入賞に輝いた、雲南市加茂B&G海洋センターの活動

積極的な広報活動を通じてB&Gプランの普及に努めた海洋センター・海洋クラブを、毎年表彰する「B&G広報大賞」。2013年度は全国から2,140件もの報道作品が寄せられ、「加茂B&Gレスリングクラブ」の活動を紹介した「テレビの部」を筆頭に「新聞の部」や「地域広報の部」など全部門で優秀賞に選ばれた、雲南市加茂B&G海洋センター(島根県)が大賞に輝きました。
常時、19社のメディアにプレスリリースを配信している同センター。学社協働で独自のキャリア教育を進める同市教育委員会の取り組みを含め、その積極的な活動の様子を拝見させていただきました。

プロフィール
● 雲南市加茂B&G海洋センター(島根県)

昭和62年(1987年)開設(体育館・上屋付きプール)。同市は平成16年に近隣6町村が合併して誕生。市内にはヤマタノオロチ伝説を生んだ斐伊川が流れ、遺跡や古墳も数多い。センターは、テニスコートや野球場、サッカー場などが整備されたスポーツの丘・ふれあいの丘に隣接。年間を通じてさまざまなスポーツが楽しめる環境が整っており、体育館で練習に励む「加茂B&Gレスリングクラブ」からは複数の全国チャンピオンが生まれている。

● 「雲南加茂B&G海洋センター新聞」制作スタッフ(現役・OB)

昭和62年の開設以来、同センターでは歴代の指導員が「B&G海洋センター新聞」を手作りで毎月発行し、広報活動を支えてきた。左から現制作担当の大谷麻美さん、制作担当OBで現センター所長の毛利智史さん、新聞の創刊に尽力した教育長の土江博昭さん、そして制作担当OBで現在、「加茂B&Gレスリングクラブ」の指導に励んでいる原 恵介さん。

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第1話新人が受け持つ大きな仕事

手作り広報紙の誕生

バックナンバーを紐解く大谷麻美さん。分厚いファイルが創刊27年の歴史を物語ります

 いまから27年前の昭和62年、海洋センターのオープンを控え、運営スタッフの1人として赴任したばかりの毛利智史さん(現:センター所長)は、教育主事の土江博昭さん(現:教育長)とともに施設の誕生を地域に知らせるチラシづくりに励みました。

 「待望のプールや体育館ができるのですから、その利用方法などを早く地域の皆さん(当時は加茂町)に教えてあげたいと考え、慣れないワープロと格闘しながら『島根加茂海洋センターだより』というチラシを作りました」

 できあがった原稿はワープロ本体でプリントされ、それを原版にして町の世帯数にあたる1,600部ほどを役場の輪転機で印刷。その後、毛利さんたちセンターのスタッフによって町内53カ所の自治会に世帯分の部数が配達され、自治会の体育部長さんによって各戸に届けられました。

 こうした努力の甲斐あって、体育館もプールも開設当初から多くの住民が利用。告知したい案内が次々に生まれたため、「島根加茂海洋センターだより」は毎月発行されていくようになりました。

紙面から誌面へ

 数年後、町の配布物は一括して全戸に配達されることになったため、自治会まわりの手間はなくなりましたが、海洋センターの各事業が定着していくなかで、「島根加茂海洋センターだより」が担う役割も増していきました。編集・制作作業は、新たにセンターに赴任したスタッフが行うことになり、創刊号を手掛けた毛利さんの後を代々の新人スタッフが引き継いでいきました。

 現在、別の施設で働きながら海洋センターで「加茂B&Gレスリングクラブ」の指導に励んでいる原 恵介さんもその1人。原さんは、この大切な新人の仕事を平成14年から19年まで担当しました。

左から創刊号、町村合併で改名した際の号、原さんが担当だった頃の号、そしてカラー化された現在の号

 「センターに赴任すると、先輩からバックナンバーのファイルを渡され、『これを参考に、自分で考えて作ってほしい』と言われました。もちろん、新聞なんて作ったこともなく、ワープロで書いた文字をどうやって拡大するのかさえも分からず四苦八苦しましたが、どうにか自分なりに構成を考えてまとめていくうちに、『もっと情報を入れたい!』、『写真も入れたい!』となっていきました」

 しだいに欲が出た原さんはワープロでの作業に限界を感じ、いつしか家からパソコンを持参。自前のデジカメで写真を取り込むなどして、気がつけば一枚のチラシだった"紙面"が、二つ折り4ページの"誌面"にボリュームアップしていました。

ダメ出しの歴史

 いまでこそ職場にパソコンもデジカメもありますが、赴任早々に自分の判断で仕事の環境を整えていった原さん。取材の現場、制作の現場に立つことで、新たな意欲が生まれていったと語ります。

 「海洋センターを利用する人たちは、自分の活動する姿が誌面に掲載されると、とても喜びます。ですから、こちらも良い写真を撮ってあげたいと思うようになっていくものです。

 また、私が作った原稿は職場のスタッフ全員で校正していたので、誤字脱字や情報不足、レイアウトの変更など、いろいろなダメ出しをもらっていました」

 自分で考えて皆で赤字を入れる繰り返しだったと振り返る原さん。編集・制作担当者は1人でも、皆で目を通しながら意識の共有化を図り、より充実した誌面をめざしていきました。

 その後、平成16年の町村合併によって雲南市が誕生すると、誌面は「雲南市加茂B&G海洋センター新聞」に改名。平成19年には大谷麻美さんが新人で赴任したため、原さんが先輩としてダメ出しを行いながら仕事をバトンタッチしていきました。

 「原さんと同じように私も新聞作りは初めてだったので、わけもわからないまま最初は年賀状ソフトで作ったものでした(笑)。

 また、最初の頃はイベントや試合の結果だけを載せて済ませたため、『それでは読むところがない』と原さんに叱られてしまい、次からは各教室の普段の様子も取材するように心掛けていきました。何も話題がないときでも、利用者の感想ぐらいは必ず拾えるものです」

 そう語る大谷さん。現在は、海洋センターが新聞やテレビから取材を受けたときに、記者やインタビュアーの仕事ぶりを見学しながら、自分が取材する際の参考にしているそうで、ますます記事作りに磨きが掛けられています。

 気がつけば、27年の長きにわたって発行され続けている「雲南市加茂B&G海洋センター新聞」。この手作り広報誌を核に、同海洋センターの広報活動は多岐にわたって展開されるようになっていきました。(※続きます)

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広報活動に力を入れているだけに、海洋センター体育館の窓口にはさまざまな色紙、ポスターが貼られ、施設の活発さがアピールされています

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体育館の通路には新聞の拡大版がずらりと並べられています。各教室に通う人たちは、新聞に自分の写真が掲載されていると、とても喜びます