連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 96

世界の舞台に向けて、大きな夢を投げ込みたい!


2014.01.22 UP

怪我を乗り越え、やり投げ選手に復帰したB&G指導員、佐藤寛大さん

昨年6月に開催された国際陸上競技大会「シンガポールオープン」のやり投げ(やり投)競技で、日本人選手が2位に入る活躍を見せました。その人、佐藤寛大さんは、蔵王町B&G海洋センターで働くB&G指導員(第14回アクア)で、怪我を克服してつかんだ大きな成果でした。「引退を覚悟したときもありましたが、地域の人たちの励ましが大きな支えになりました」と語る佐藤さん。選手として歩んできたこれまでの道のりや今後の目標、そして職場である海洋センターに寄せる思いなどを語っていただきました。

プロフィール
● 佐藤寛大(さとう のぶひろ)さん

昭和63年(1988年)生まれ、宮城県出身。高校時代からやり投げ競技を始め、3年生のときに国体3位入賞。仙台大学3年、4年生時に全日本インカレ連覇。大学院1年生時に日本代表に選抜され2011ユニバーシアード大会出場。2012年に蔵王町に就職して競技を続けるも、怪我を負って引退を考えたが、海洋センターに勤務するなかで一念発起して競技に復帰。2013年に東日本実業団選手権で優勝、シンガポールオープン準優勝を果たす。

● 蔵王町B&G海洋センター(宮城県)

1988年開設(体育館、上屋付プール)。蔵王町は、温泉やスキーで知られる蔵王山の麓に位置し、海洋センターは野球場や多目的グラウンドなどを備える町の総合運動公園に隣接。施設から歩いて2-3分のところにも温泉があり、運動した後に体を休めるには最適な環境にある。

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第3話陸上から水上へ移った活動の場

Uターンの誘い

大学院時代、東北インカレを制した佐藤さん。ユニバーシアード大会の出場を叶えたこともあって、その後は就職を考えるようになっていきました

大学院時代、東北インカレを制した佐藤さん。ユニバーシアード大会の出場を叶えたこともあって、その後は就職を考えるようになっていきました

 大学4年生のときから日本代表に選ばれるようになり、大学院に進学すると早稲田大学のディーン・元気選手とともに中国で開催されたユニバーシアード大会に出場した佐藤さん。初めての国際大会は満足な結果を得ることができませんでしたが、日本の代表として国際舞台に立つことが大きな目標だったため、かつてない達成感を手にすることができました。

 「ユニバーシアード大会に出たことで自分の目標に達することができましたが、すでに大学を出ていたこともあって、『このあたりで、いったん競技の第一線から離れてもいいかな』という、燃え尽き感もありました」

 大学2年生のときに開催された北京オリンピックは、ケガで1年間活動を休止していたため、佐藤さんは出場をめざすことができませんでした。しかし、ケガを克服した後の大学3、4年生時には全日本インカレを連覇するとともに、国体では77.76mの自己ベストで優勝。着々と実績を重ねていたため、ロンドンオリンピックでの活躍が期待されていました。

 「オリンピックの参加基準が82mだったので、大学4年生のときに国体で出した自己ベストを5m更新すれば手が届く状態でした。そのため、大学を出て2年後に開催されるロンドンオリンピックを意識しながら大学院に進みましたが、1年生のときに出たユニバーシアード大会で燃え尽き感が生まれると、仕事や生活のことも考えるようになりました」

 そんな折、郷里の蔵王町から就職の話が舞い込みました。「陸上競技を続けるのであれば町としても支援していくので、役場の職員にならないか」ということでした。

 「実業団に入る道もありましたが、年を取った先のことを考えたら故郷で働きたいと思いました」

 佐藤さんは、大学院1年生の終わりに町職員の採用試験を受験。採用が決まるとオリンピックに向けて続けていた練習から離れ、大学院を辞めて蔵王町に戻りました。

研修で結ばれた絆

養成研修の初日、緊張しながら泳力判定に臨む佐藤さん。沖縄に行くと、辛くも楽しい3週間の日々が待っていました

養成研修の初日、緊張しながら泳力判定に臨む佐藤さん。沖縄に行くと、辛くも楽しい3週間の日々が待っていました

 町役場への就職が決まった際、体育関係の部署に配属されるだろうと思った佐藤さん。その予想は当たって海洋センター勤務となりましたが、アクア・インストラクターの資格を取るため、沖縄で3週間もの指導者養成研修に参加しなければならないことまでは頭にありませんでした。

 「沖縄に行くのは修学旅行以来のことだったのでワクワクしましたが、それは甘い考えでしたね(笑)。初日から、どれぐらい泳げるか確認する泳力判定でヘトヘトに疲れてしまいました。そもそも泳ぐこと自体が小学生以来の出来事で、なんとなく泳げるはずだとは思っていましたが、体脂肪率が低くて浮力が少ない体になっていたため、子供の頃のようには泳げませんでした」

 やり投げ選手として鍛えてきた体がここで裏目に出てしまいましたが、佐藤さんは思うように浮かんでくれない体をなんとか動かしながら、必死で水泳の研修に励んでいきました。

 「はじめは、泳ぐことがなんでこんなに辛いんだと思いましたが、周囲を見ると私と同じように四苦八苦している研修仲間がたくさんいるので勇気が湧きました」

晴れてアクア・インストラクターの養成研修が終了。たくさんの仲間ができました

晴れてアクア・インストラクターの養成研修が終了。たくさんの仲間ができました

 しだいに仲間と励ましあうようになっていった佐藤さん。最初の3日間はとても辛かったそうですが、仲間と一緒に切磋琢磨するなかで3週間の研修はあっという間に終わってしまいました。

 「研修が終わる頃になると、もっといたいと思うほど楽しい日々になっていました。それは、ひとえに同じ経験を重ねる仲間がいたからで、ともに励ましあい、語りあうなかで、同期の指導者として絆が結ばれていきました」

 佐藤さんは、いまでも同期の仲間との連絡を絶やしません。会議で顔を合わせときはもちろんのこと、日々、電話やメールで交換するさまざまな情報を仕事に役立てているそうです。

新たに生まれた目標

海洋センターで子供たちに水泳を指導する佐藤さん。子供相手の仕事は向いていないと思っていましたが、すっかり皆の人気者になりました

海洋センターで子供たちに水泳を指導する佐藤さん。子供相手の仕事は向いていないと思っていましたが、すっかり皆の人気者になりました

 やり投げは個人競技なので、1人で悩んだり苦しんだりすることが多かったという佐藤さん。ところが、大勢の仲間と一緒に3週間の指導者養成研修を成し遂げたことにより、助け合いながら前に進んでいく団体行動の良さを体験しました。

 「1人で不安を抱えているより、仲間と一緒に不安でいるほうが気も休まります。沖縄の研修では、仲間と励まし合うことでお互いの不安を打ち消すことができましたし、辛かった立ち泳ぎの試験のときにも、必死で応援したりされたりしながら合格することができました」

 「自分が辛いときは隣の仲間も辛いんだ」と語る佐藤さん。指導者養成研修で学んだ仲間の輪の大切さ、友を思いやる気持ちの大切さは、現在、海洋センターの仕事を通じて水泳教室などに集まる地域の子供たちにしっかりと伝えられています。

 「私は、子供を相手にする仕事は向いていないと勝手に思っていましたが、海洋センターの仕事をしていると、子供になにかを伝えることが楽しくなりました。海洋センターの水泳教室は、泳ぎだけでなく友だちの大切さを教える場にしていきたいと思っています」

 そのためにも、水辺の安全教室をはじめ、さまざまな企画を考えたいものです。海洋センターで働くようになった佐藤さんは、やり投げ競技とはまた違った、新たな生き甲斐を見つけることができました。(※最終話に続きます)