連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 96

世界の舞台に向けて、大きな夢を投げ込みたい!


2014.01.15 UP

怪我を乗り越え、やり投げ選手に復帰したB&G指導員、佐藤寛大さん

昨年6月に開催された国際陸上競技大会「シンガポールオープン」のやり投げ(やり投)競技で、日本人選手が2位に入る活躍を見せました。その人、佐藤寛大さんは、蔵王町B&G海洋センターで働くB&G指導員(第14回アクア)で、怪我を克服してつかんだ大きな成果でした。「引退を覚悟したときもありましたが、地域の人たちの励ましが大きな支えになりました」と語る佐藤さん。選手として歩んできたこれまでの道のりや今後の目標、そして職場である海洋センターに寄せる思いなどを語っていただきました。

プロフィール
● 佐藤寛大(さとう のぶひろ)さん

昭和63年(1988年)生まれ、宮城県出身。高校時代からやり投げ競技を始め、3年生のときに国体3位入賞。仙台大学3年、4年生時に全日本インカレ連覇。大学院1年生時に日本代表に選抜され2011ユニバーシアード大会出場。2012年に蔵王町に就職して競技を続けるも、怪我を負って引退を考えたが、海洋センターに勤務するなかで一念発起して競技に復帰。2013年に東日本実業団選手権で優勝、シンガポールオープン準優勝を果たす。

● 蔵王町B&G海洋センター(宮城県)

1988年開設(体育館、上屋付プール)。蔵王町は、温泉やスキーで知られる蔵王山の麓に位置し、海洋センターは野球場や多目的グラウンドなどを備える町の総合運動公園に隣接。施設から歩いて2-3分のところにも温泉があり、運動した後に体を休めるには最適な環境にある。

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第2話充実の学生生活

花開いた基礎練習

高校時代は顧問の先生と二人三脚で活動した佐藤さんでしたが、大学に入るとたくさんの仲間が待っていました。皆に支えられて横になっているのが佐藤さんです

高校時代は顧問の先生と二人三脚で活動した佐藤さんでしたが、大学に入るとたくさんの仲間が待っていました。皆に支えられて横になっているのが佐藤さんです

 大学に行ってから記録が伸び悩む選手が多いことを考慮して、高校時代は走り込みやフォームの反復運動といった基礎的な練習を徹底的に行った佐藤さん。実際にやりを投げる練習は週に1回程度でしたが、3年生になると地道に重ねた日々の努力が実り、国体で3位入賞を達成。多くの大学からその実力が評価されました。

 「高校時代に全国大会で3位以内の成績を収めると、体育系の大学からスポーツ特待生として招かれるようになります。ですから、国体で3位に入ったときは一つの達成感を得るとともに、大学で親に苦労を掛けずに済むと思ってホッとした気持ちになりました」

 国体が終わると、関東を中心に10校以上の大学から声が掛かった佐藤さん。しかし、どうしても地元で頑張りたいと思って仙台大学の誘いを受けました。

 「私の周りからは関東に行ったほうが良いのではという声も出ましたが、これまでに日本学生陸上競技対校選手権大会(全日本インカレ)を制した東北の大学がなかったので、その夢を東北唯一の体育大学である仙台大学で叶えたいと思いました」

母校、仙台大学で練習に励む佐藤さん。1年生のときから、部内の選考会を突破してレギュラー選手として活躍していきました

母校、仙台大学で練習に励む佐藤さん。1年生のときから、部内の選考会を突破してレギュラー選手として活躍していきました

 入学するや陸上部の門を叩いた佐藤さん。部員は200人以上在籍しており、やり投げだけでも30人近い選手を数えました。やり投げでインカレの選手に登録できるのは、わずかに3人。大会に出るためには、部内で行う選考会を突破しなければなりませんでしたが、佐藤さんは入学直後から一番に選ばれていきました。

 「大学に入ってからは練習内容がガラリと変わり、実際にやりを投げる投てき練習を主体にウエイトトレーニングで筋力アップを図っていきました。走り込みを続けていた高校時代とは環境がまったく変わってしまったわけですが、調子が狂うこともなく、体がどんどん良い方向に変化していきました。これもひとえに、基礎練習を徹底的に重ねた高校時代があったからそこで、改めて顧問の先生に感謝しました」

 高校時代に我慢した甲斐があったと振り返る佐藤さん。高校時代は日本一になれなかったので、大学を出るまでに何とかして日本一のタイトルを取りたいと思うようになりました。

ほろ苦い国際デビュー

大学3、4年生のときに全日本インカレ2連覇を達成。東北の大学で初の快挙を遂げました

大学3、4年生のときに全日本インカレ2連覇を達成。東北の大学で初の快挙を遂げました

 大学入学とともにレギュラー選手に抜擢された佐藤さん。1年生のときには20歳以下を対象にした全日本ジュニア陸上選手権大会で優勝を遂げ、早くも入学時に掲げた日本一のタイトルを手にすることができました。

 「しかし、2年生のときは右肩を骨折して1年間を棒に振ってしまいました。やりを投げた直後にバランスを崩し、右手だけで全体重を支えるような転び方をしてしまったのです」

 そんな思わぬアクシデントによって、佐藤さんは辛い1年間を過ごしてしまいましたが、選手に復帰した3年生の全日本インカレで優勝。続く4年生のときも勝って2連覇を達成することができました。

 「終わってみれば、怪我をした2年生以外の全学年で日本一のタイトルを取ることができたので、有意義な大学時代を送ることができました。また、私が4年生のときに、ディーン・元気選手が早稲田大学に入学して良きライバルを得ることができました」

 やり投げ競技では、アテネ大会からロンドン大会までオリンピック3大会に出場した村上幸史選手も有名ですが、佐藤さんとは10歳以上も年上なので特に交流する機会はありませんでした。

 その一方、ディーン選手とは大学時代が重なったこともあって顔なじみになり、佐藤さんが大学院1年生のときには2人そろってナショナルチームに選抜され、中国で開催された2011年のユニバーシアード大会に出場しました。

 「ディーン選手は試合になればライバルでしたが、そうでないときは友だちの感じでよく世間話をしていました。ただ、ユニバーシアードでは2人とも入賞することができず、『これが世界の壁だ』と一緒に反省しながら帰ってきました」

 佐藤さんは、「何もできないまま一瞬で自分の競技が終わってしまった」と振り返ります。6万人収容の大競技場のなかに立つと、観衆の声に圧倒されてピット(待機所)にいても隣同士の会話もままならず、コンディションを整える間もなく気がついたら自分の番になっていたそうです。

大学院に進むとともにユニバーシアード大会に出場した佐藤さん。初めての国際大会で貴重な経験を積むことができました

大学院に進むとともにユニバーシアード大会に出場した佐藤さん。初めての国際大会で貴重な経験を積むことができました

 「ひとことで言えば、国際大会の大舞台に慣れていなかったということです。ですから選手としては良い勉強になりましたが、私はすでに大学を卒業した身でしたから、ユニバーシアードが終わると、日本代表になれたという達成感とともに、いわゆる燃えつき感もありました」

 大学4年生のときからナショナルチームに抜擢されていた佐藤さん。2011年のユニバーシアードの翌年にはロンドンオリンピックが控えていましたが、燃えつき感が出るようになった佐藤さんは、地元に戻って大きな決断の時を迎えました。(※続きます)