連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 91

世界に羽ばたく子を、わが町で育てたい!


2013.08.07 UP

海辺の活動、競泳選手の育成に励む、志賀町富来B&G海洋センター

B&G全国ジュニア水泳大会で常に優秀な成績を収めている石川県チーム。その一翼を担っているのが、池端久泰選手(2009年度最優秀選手)や日髙雅子選手(2012年度最優秀選手)を輩出している、志賀町富来B&G海洋センターです。
施設がオープンする際に愛称を公募し、小学生が考えた「フレア」(フレッシュアップ・クラブの略)という呼び名がつけられた同センター。1998年に事業を始めて以来、多くの住民に親しまれながら地域の健康づくりや子供たちの水泳指導に励んでいます。
今回は、こうした活動を二人三脚で支え続けている2人の指導員を連載で紹介するとともに、最終第4話では、海洋センターに寄せる期待を小泉 勝 町長にお聞きいたします。

プロフィール
● 志賀町富来B&G海洋センター

旧富来町時代の平成10年(1998年)、屋内温水プール施設として開設。愛称を公募し、「フレア」という名で住民に親しまれ続け、平成17年に2町合併よって志賀町となってからも子供たちの水泳教室から高齢者の健康づくり事業が熱心に続けられている。
また、B&G富来海洋クラブも昭和61年(1986年)に開設。手作りの艇庫を拠点に、カヌーやOPヨット、キャンプなどの活動が盛んに行われている。

● 谷場 宣彦さん(右)

1974年生まれ、旧志賀町出身。民間スイミングクラブを経て、海洋センターの開設に合わせて旧富来町役場に就職(現:志賀町教育委員会)。以後、海洋センター職員として各種水泳教室の指導にあたっている。

● 戸野 陽介さん(左)

1976年生まれ、旧富来町出身。旧富来町役場に就職し、海洋センターに赴任(現:志賀町教育委員会)。以後、谷場氏とともに海洋センターの運営にあたる一方、海洋クラブの指導にも励んでいる。

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第1話町にやってきた念願のプール

子供たちを集めた手作りの艇庫

 能登半島の中央部にあって、海岸線に景勝地が連なる石川県志賀町。その美しいロケーションのもとで海洋クラブが発足したのは、昭和61年(1986年)のことでした。

 「町をあげて(旧富来町)海洋センターの建設を財団に陳情しつつ、海洋クラブをつくって地元の美しい海を活用しようという声が上がったそうです」と語る、同町出身の海洋センター職員、戸野陽介さん。町の有志が手作りの艇庫を海岸に建てて海洋クラブを立ち上げ、地元の子供たちを集めてカヌーやOPヨットの活動を展開していきました。

 「町では、スポーツ少年団や地域の子供会などを対象にヨットやカヌーの体験会を開き、活動に興味を持った子供たちをクラブに入れていきました。設立2年目のことだったと思いますが、小学3年生だった私も子供会を通じてカヌーに乗りました」

 はじめから30人ぐらいの子供たちが集まって賑わっていたという海洋クラブ。子供の頃の戸野さんにカヌーを教えた指導員は、いまでもB&G地域指導者会を通じて海洋センター・クラブの活動に協力しているそうです。

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手作りの艇庫からカヌーを出し、海に出る準備を始める海洋クラブの子供たち。現在も、ここが活動の拠点になっています

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艇庫から海に出るには、長い浜辺を通り抜けなければなりません。機材の出し入れは大変ですが、海洋クラブができてから今日に至るまで、活発な活動が展開されています

愛称をつけて大切にしたい!

 旧富来町が海洋センターの誘致を決めた当時、町内の小中高校にプールはありましたが、一般の人が自由に使えるプールはありませんでした。

 「学校のプールにしても屋外の施設なので、子供たちも夏場しか利用できませんでした。また、一年中練習できる民間のスイミングクラブに通うとなれば、クルマで1時間ほど走らなければならなかったので、多くの住民が全天候型の屋内温水プールを望んでいました」

 そんな声に押されて、海洋センターの誘致に力を入れた旧富来町。海洋クラブを立ち上げて活動実績を積みながら、12年目にしてようやく海洋センター建設の夢が叶いました。

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自由設計の時代になってから誘致されたため、オリジナル性の高い建物になった志賀町富来B&G海洋センター。陳情を重ね、全天候型の屋内温水プールという住民の大きな夢が叶いました

 「毎年、全国からたくさんの誘致が集まるなかで、採用される数は限られていましたから、町の関係者は辛抱強く陳情を続けたそうです。また、施設の設計が自由化された直後に誘致が決まったため、設計内容を巡って町内からさまざまな意見が出て、調整に苦労したようです」

 後年、施設の設計図を開いてみたら、何度も書き換えた後が残っていたと語る戸野さん。そんな試行錯誤の結果、町に誕生した海洋センター(屋内温水プール)には、サウナや浴室、トレーニングルームといった充実した設備が整えられたほか、車椅子でプールに入るコースを設けるなどして館内すべてがバリアフリーになりました。

 「長く待って誕生したプールだったので住民の皆さんの喜びようも大きく、愛称を公募して大切にしていこうという声が出て、地元の小学生が考えた『フレア』(冒頭のリード文参照)という呼び名がつけられました」

 オープニングセレモニーには、元東京オリンピック競泳日本代表選手の木原美智子氏を招いて水泳教室を開催。集まった多くの住民に、できたばかりのプール利用を呼びかけました。

偶然の再会

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海洋センタープールでライフジャケットの浮遊体験を行う子供たち。谷場さん、戸野さんは二人三脚でさまざまな事業を展開していきました

 高校、大学とホッケーに親しんだ戸野さん。スポーツが得意だったことから、町役場に就職が決まると開設を控えていた海洋センターへの赴任が決まりました。

 「スポーツは好きなものの、特に水泳をしていたわけではなかったので、就職が決まってすぐに参加した沖縄の指導員養成研修で水泳をしっかりと教えていただき、とても助かりました。

 また、海洋センター開設後の事業運営を考えるうえで参考にしようと、地元周辺のプール施設をいろいろ視察して歩きましたが、そこで偶然にも高校ホッケー部で1年先輩だった谷場さんと再会することができました」

 高校卒業後、ネクタイを締める仕事はしたくないと思い、子供が好きだったことから、金沢市の民間スイミングクラブに就職した谷場宣彦さん。水泳の指導を学びなら日々の教室運営に励み、戸野さんと再会したときには4年間の実践経験を身につけていました。

 「再会を機に、戸野から海洋センターで一緒に働いてほしいと誘われ、水泳の指導だけでなく自然体験を通じて幅広く子供の成長に関わるB&Gプランの考えに共感しました」

 戸野さんの話を聞いて、海洋センターの仕事に新たな可能性を見出した谷場さん。さっそく町役場に転職し、できたばかりの海洋センターで二人三脚の仕事が始まっていきました。(※続きます)

写真提供:志賀町富来B&G海洋センター