連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 90

小さなドングリを集めて、大きく育つ仲間の輪

2013.07.31 UP

~植樹活動に励む、NPO「地球の緑を育てる会」
                       理事長の石村章子さん~

子育てを終えた石村章子さんが、中国の沙漠で緑化事業を展開するNGO「日本沙漠緑化実践協会」の仕事に就いたのは、18年前のことでした。
「銀座で電話当番のような仕事があるけれど、やってみる?」という、いまは亡き主人の言葉に、銀座が大好きな私はすぐOKの返事をしましたが、実はそれが沙漠緑化を旨とする団体のお仕事でした」
石村さんは、その団体で働きながら緑化事業に関心を寄せ、やがて自ら発起人の1人となってNPO「地球の緑を育てる会」を設立。宮脇 昭 横浜国立大学名誉教授が提唱する、「その土地本来の植生を活かした植樹」を広めるようになりました。
「主人は若い頃から環境問題に関心を寄せていました。ですから、仕事に忙しい自分に代わって緑化の仕事を私に勧めてくれたのだと思います」
亡くなられたご主人の思いと共に、苗を育て、木を植えていきたいと語る石村さん。植樹に励む大勢の仲間に囲まれながら、忙しい日々を送る石村さんの横顔を紹介いたします。

プロフィール
● 石村 章子(いしむら あやこ)さん

(昭和18年)1943年、満州国大連生まれ。東京女子大学卒業後、大手銀行入社。結婚退社後は主婦業に専念したが、夫の勧めを受けて1995年から5年間、NGO「日本沙漠緑化実践協会」の事務局長を務める。その後、自ら発起人の1人となって2001年に「地球の緑を育てる会」を設立(翌年、NPO法人化)し、理事長に就任。横浜国立大学の宮脇 昭 名誉教授を顧問に迎え、茨城県つくば市を拠点に社会奉仕活動に励む民間団体「明るい社会づくり筑浦協議会」と手を携えながら緑環境再生事業を進めている。

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第5話(最終話)世界が変わっても人は変わらない

リーダーへの期待

 ボランティアで作業に励むさまざまな人を見て、社会の多くの目が環境問題に向いてきたことを実感した石村さん。徐々に、環境問題に取り組む企業も増えてきているそうです。

 「地球温暖化が問われ、実際に異常な気象が相次いでいますから、多くの人が環境を守ることの大切さを本能的に知るようになったのではないでしょうか。常緑樹の根が地下深く伸びて大地を抱き込む宮脇方式の植樹なら、地震や津波、火事に耐える防災効果も生まれるので、小さな苗を植えることがさまざまな面で地域に貢献する活動につながります。

 筑波山の森づくりには、林野庁の事業で初めて宮脇方式を導入したときの島田泰助長官(2009-2010年在官)も、退官直後に職員やその家族を連れて参加しており、地元銀行の頭取や常務も自ら職員の先頭に立って植樹に励んでいます。こうした姿勢を各界のリーダーの方々が取ってくださると、後に続く方々の理解が深まります」

 リーダーが率先して取り組むことに大きな意義を感じると語る石村さん。理解の輪が広がって、社会を動かす力になっていくことを期待しているそうです。

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島田泰助 林野庁長官(2009年~2010年在官)は、林野庁の事業で初めて宮脇方式を導入。退官直後に実施された筑波山の植樹祭には自ら現地に赴いて植樹に励みました(写真右端)

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今年の春には、地元の常陽銀行が「じょうようふるさとの森 in 筑波山」という名の植樹祭を開催。頭取(左)や常務が先頭に立って植樹を行いました

ふるさと再生の旅

 石村さんが植樹事業に関わるきっかけとなった、NGO「日本沙漠緑化実践協会」の遠山正瑛 鳥取大学名誉教授は、常に「知恵のある者は知恵を出せ、汗をかける者は汗をかけ」と語っていたそうです。

 「知恵を出し、汗をかかねば植樹はできません。ですから先生は、『自分に何ができるかをよく考え、持てる力を発揮して植樹に関わりなさい』と私たちに説いていました。

 知恵や汗、加えて資金や土地といったさまざまな要素のどれが欠けても植樹事業はできません。その1つ1つを束ねてまとめる仕事が、私たち協会スタッフの役割でした」

 こうして、5年にわたって協会の事務局長を務めた石村さん。この間に学んだ事業ノウハウは、その後、NPO「地球の緑を育てる会」の活動に活かされていきましたが、やがて中国から届いた1本の電子メールによって、新たな仕事が展開されていきました。

 「3年前の2010年、中国の領事館から雲南省昆明市で森づくりを手伝ってほしいとのメールが「地球の緑を育てる会」に届きました。かねがね宮脇先生が、『雲南省は常緑照葉樹が生まれた生物学的に重要な場所である』とおっしゃっていたので、すぐに先生と中国に飛んでみると、現地の人たちは、『植樹をしてもなかなか育たない』と言って悩んでいました」

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常緑照葉樹のふるさと、中国雲南省昆明市で実施された植樹祭。宮脇方式を導入したことで、みごとに緑が復活していきました

 常緑照葉樹のふるさとであるこの地も長い年月を経て人の手が加えられ、土地本来の樹木はほとんど姿を消していました。そのため現地の人たちが植樹を始めたのですが、何度試みても上手く育ちませんでした。

 「そこで私たちは、「宮脇方式」の技術を伝えました。植栽地全面を耕起すること、植栽地の巾の1/2の高さのマウンドをつくること、その土地本来の常緑広葉樹を多種、混植、密植すること、植樹後には稲藁等で植栽地全面を覆うことなどです」

 中国側は、こうした「宮脇方式」の手法を忠実に実行。すると、これまでの3倍の早さで植栽が生長し、「目からウロコだ」と言って関係者から驚きのメールが届きました。

何もしない罪

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内蒙古の植樹祭に参加した地元の子どもたち。後ろの大木は実は人間で、木の姿になって植樹の大切さを訴えるアメリカから参加の大道芸人・ツリーマンです

 宮脇先生の指導や石村さんたち「地球の緑を育てる会」の努力によって、道が開けた常緑照葉樹のふるさと再生。中国での植樹活動は、かつて石村さんが「日本沙漠緑化実践協会」で手掛けていた内蒙古の沙漠でも、すでに2004年から展開していました。

 「私が日本沙漠緑化実践協会にいた際、内蒙古の沙漠ではポプラの木ばかりを植えていました。そのため、改めて宮脇先生に現地の植生を見ていただいたところ、モンゴリナラの木が良いことが分かりました」

 そこで、地元の人たちや日本からのボランティアが沙漠に足を運び、ポプラなどに加えてモンゴリナラも植えるようになりましたが、2009年に行った事業では派手な衣装をまとった若者の集団が元気よく植樹に励みました。

 「それは、『てんつくマン』という芸人さんを中心とした若いボランティアの方々でした。誰もが思い思いのコスチュームを身にまといながら植樹に励み、自らを『沙漠のマリリン・モンロー』と名乗る金髪の女性もいました。要するに、皆、好きな衣装を着て自己表現を楽しみながら作業に励んだのです」

 そんな光景に最初は驚いた石村さんでしたが、自分たちなりに作業を楽しむ若者たちのボランティア参加に大きな期待を寄せました。

 「皆さん、それぞれに楽しみながらも植樹の大切さを知っていて、しっかりと植えてくれました。また、地元の人たちも熱心に取り組んでいて、私たちにとても協力的でした。最近の日中関係にはギクシャクした面もありますが、植樹事業に関して言えばとても良い関係で仕事が進みます」

 こうした経験から、石村さんは「たとえ世界の情勢が変わったとしても、手を携えた人と人との関係は変わらない」と語ります。

 「とにかく行動することが大切です。宮脇先生は、『何もしないことは罪。間違っても、やり直せばいい』とおっしゃって、私たちの背中を押してくださいます。ただ、始めたらやり抜く気持ちが大切で、『やるなら本気を出せ! 困難に打ち勝つものが本物である』と先生は説いています」

 宮脇先生の言葉を胸に刻んで、日々、育苗や植樹の事業に励む石村さん。ポットに植えられる1つ1つの小さなドングリには、人と人をつなぎ世界を結ぶ大きな夢が託されています。(※完了)

写真提供:NPO「地球の緑を育てる会」

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内蒙古の植樹に参加した、芸人の「てんつくマン」。植樹事業に関心を寄せ、「地球の緑を育てる会」も見学に訪れています

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内蒙古の荒地を耕す、自称「沙漠のマリリン・モンロー」。かしこまらないで、皆、それぞれに植樹の活動を楽しめば良いわけです