連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 89

いのちのバトンは、つかんだら離さない!

2013.06.12 UP

ライフセービングの普及・指導に努める、泉田昌美さん

B&G「体験クルーズ」小笠原の寄港地活動では、メンバーの子どもたちがレスキュー用具を実際に使いながらライフセービングを体験しました。
その際、いつも講師を務めてくださったライフセーバーが、泉田昌美さんでした。普段、泉田さんは警備会社に勤めていますが、大学時代から始めたライフセービング活動に力を入れており、現在、NPO法人 日本ライフセービング協会(JLA)の競技力強化委員会委員長、ならびにライフセービングスポーツ推進副本部長を務めています。
「いのちを守る活動を通じて、あきらめない気持ちが大切であることを知りました」と語る泉田さんに、ライフセービングの魅力を語っていただきました。

プロフィール
● 泉田 昌美(いずみだ まさみ)さん

昭和44年(1969年)生まれ、東京都練馬区出身。小学2年生のときから水泳を始め、体育の先生をめざして日本体育大学に進学。在学中はライフセービングクラブに所属し、現在、日本ライフセービング協会理事長を務める小峯 力氏(B&G財団評議員)に師事。社会人になってからもボランティアで協会活動に励み、平成18年以降は、B&G「体験クルーズ」小笠原で、子どもたちにライフセービング体験プログラムを指導した。

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第2話ライフセービング・フィロソフィー

本物をめざせ!

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B&G「体験クルーズ」小笠原の寄港地、父島で子どもたちにニッパーボード(ジュニア向けの練習用小型ボード)の使い方を教える泉田さん。いまではいろいろな練習用具がありますが、泉田さんが大学に入った当時は手探りの状態でした

 大学に入っていろいろな運動部を見て回り、できたばかりのライフセービングクラブに入った泉田さん。中学、高校と水泳をほとんどしていなかったこともあって、久しぶりに入るプールや海が新鮮に感じました。

 「平日は校内で水泳やランニングの練習を重ね、土曜日になると江の島に程近い鵠沼海岸に通いました。海の練習に使うサーフボードはたった1本しかなく、しかもそれはレスキュー用のモデルではありませんでしたが、皆で使い回しながら夢中になって乗りました」

 クラブの部員は30人ほどで、先輩は10人ぐらいしかいませんでした。そのため、すぐに泉田さんも大会に駆り出されて競技の経験を積んでいきました。

 「最初はチームの人数合わせで出させてもらっていたようなものでしたが、大会に出て競技をやり遂げたときの達成感は例えようもありませんでした。ライフセービングという競技に勝敗はありますが、勝ち負けだけがすべてではないところに大きな魅力を感じました」

 当時は10校ぐらいの大学が競い合っていて、水球部の選手が掛け持ちで出場するところもありましたが、日体大はひたすらクラブ員だけで競技に挑んでいました。クラブ監督を務めていた小峯 力氏が、勝つためだけの競技ではないことを部員に説いていたからでした。

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浜に立てられたフラッグ(スティック)を走っていって取り合う、ビーチフラッグスという競技を体験する子どもたち。泉田さんは、「フラッグは人の命だと思って、つかんだら絶対に離さない気持ちになってください」と説明しながら、競技の奥に秘めた哲学を伝えます

 「監督は、いつも私たちに『水球や水泳の選手が掛け持ちで参加して勝っても、それは本物のライフセーバーではない』としきりに言っていました。実際、ライフセービングの競技のなかにはファーストエイドという加点項目もあり、三角巾や包帯を手際よく丁寧にしなければ得点につながりません。

 体を使う競技は力技で勝負できるかも知れませんが、ライフセービングという競技には、このように繊細さが問われる部分もあるのです。つまり、ライフセービングとは何かというフィロソフィー(哲学)を理解していなければ、いざというときに発揮しなければならない総合力が身に付かないのです」

 いくら競技に勝つことができても、フィロソフィーを理解できなければ真のライフセーバーにはなれないと問い続けた小峯監督。泉田さんは、その言葉の深さに魅せられていきました。

あっという間に増えた仲間

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「ベーシック・サーフ・ライフセーバー」を皮切りに、次々と資格をステップアップさせていった泉田さん。写真は、大学3年生のときに「アシスタントインストラクター」の講習会に参加したときのスナップです(前列3人の中央)

 クラブの活動は、競技をめざすことばかりではありません。休日には交代で浜に出て、海水浴客などの安全を見守る大切な仕事を担います。そのため、泉田さんも日々の練習を重ねながら、ライフセーバーの資格をステップアップさせていきました。

 「ライフセーバーの資格にはいろいろありますが、私が最初に取得したのは『ベーシック・サーフ・ライフセーバー』という基礎的な資格でした。

 ただし、当時は日本語に訳されたテキストが十分になく、資格取得に向けた勉強をする際には10枚ほどのコピーを束ねただけの資料しかありませんでした。また、指導してくださるインストラクターも国内には少なく、このときは日本とオーストラリアの方々が混成チームを作って指導にあたってくださいました」

 少ない資料を参考に、手探りの状態でいろいろな知識を身につけた泉田さん。そんな苦労もまた、ライフセービングの魅力でもありました。

 「普段は何気に練習していますが、自分が泳いだり走ったりすることが人の命を救うことにつながると思えば、他の競技とはまったく違った魅力が浮かび上がります。ですから、『ライフセービングを学び、実践するのは良いことなのだから、仲間を増やして輪を広げよう』と熱く語る小峯監督に、私も含めてほとんどの部員が共鳴しました」

 ライフセービングを語る小峯監督にカリスマ性を感じたと振り返る泉田さん。活動を続けるなかで迷ったり、挫折しそうになったりしたときは、小峯監督の話を聞いて原点に戻ることができたそうです。

 「監督の話を聞けば、『やはり、私はライフセービングをしたいんだ』という気持ちが沸いてきます。また、『仲間の輪を広げよう』という監督の言葉を受けて、クラブの皆が勧誘に力を入れました」

 泉田さんが1年生のときのクラブ員は30~40人ぐらいの数でしたが、皆で勧誘に力を入れていった結果、4年生のときには100人以上に拡大。泉田さんがOGとなってからも、さらに200人、300人と増えていきました。(※続きます)

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B&G「体験クルーズ」小笠原の船中で、「海の安全と生命の尊厳」という題の講話で子どもたちに問いかける小峯 力氏。現在、日本ライフセービング協会の理事長を務めながら普及・啓発活動に情熱を注いでいます

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クラブは泉田さんが入部して間もなくサークル同好会から学友会運動部に昇格し、4年生のときには100人以上の部員を数えました。最前列の左端が泉田さんで、ジャケット姿で立つ中央4人の左から2人目が、小峯監督です