連載企画

注目の人:全国の海洋センター・クラブで活躍する方や、スポーツ選手など、B&G財団が注目する人にインタビューをしています。

No. 77

クラブ同士の連携で広げた活動の輪(池田・高松編)


上:池田海洋クラブ
下:高松海洋クラブ

~島と都市の仲間が手を携えて、ヨットやキャンプなど幅広く展開~
B&G池田海洋クラブ・B&G高松海洋クラブの活動

前回に続き、今回も海洋クラブ同士が手を携えることで大きな成果を上げている事例をご紹介します。
子どもたちに視野を広げてもらいたいと考え、小豆島に2つの海洋クラブを立ち上げた陶山哲夫さん。やがて、その輪のなかに対岸の高松市からヨットの練習にやって来る子の姿も見られるようになりました。
小豆島には自然豊かな海があり、高松市には設備の整った国体ハーバーがあります。そんな異なる環境をお互いに活用していこうと、島と都市の海洋クラブが手を取り合うようになっていきました。

「大会をめざす子はハーバーで練習し、島に渡ればカヌーやキャンプも楽しめます」と語るB&G高松海洋クラブ代表の小野澤秀典さん。恵まれた環境のなかで、ヨットやカヌーを生涯スポーツとして定着させていきたいと胸を膨らませていました。
プロフィール
●B&G内海海洋クラブ・B&G池田海洋クラブ
陶山代表などの有志が立ち上げた小豆島オリーブヨット少年団を母体に、昭和56年、B&G内海海洋クラブが設立されて、子どもたちがB&G全国大会などで活躍。その後、平成5年には総合レクリエーション施設「小豆島ふるさと村」を拠点にB&G池田海洋クラブが誕生。同クラブはキャンプ場などの施設を活用しながら、B&G県大会や各種フェスティバルなどを開催する一方、対岸のB&G高松海洋クラブと連携を深めている。
●B&G高松海洋クラブ
クラブの前身である高松ジュニアヨットクラブの子どもたちがB&G池田海洋クラブで練習をはじめたことをきっかけに相互交流を始め、昨年、B&G高松海洋クラブとして登録。現在、高松ヨットハーバーで練習に励むほか、夏の合宿やB&G「親子ふれあいキャンプ」などの事業を通じてB&G池田海洋クラブと交流を深めている。
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第3話復活への道

クラブ同士の助け合い

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小豆島で練習に励む子どもたち。高松市からやってくる子も交えて活動を続けていきました


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高松市と小豆島は高速船で1時間の距離。島に渡る際はバスで移動する感覚です

 平成5年、総合レクリエーション施設「小豆島ふるさと村」を拠点に、新たに生まれたB&G池田海洋クラブ。代表を務める陶山さんほか指導者の皆さんは、マリンスポーツだけでなく、スキー教室や遠足なども取り入れて交流の輪を広めていきました。

 すると、その輪のなかに対岸の高松市からやってくる子どもたちの姿も見られるようになりました。ちょうどこの頃、少子化の影響を受けて高松ジュニアヨットクラブが休部になって活動が停止。どうしてもヨットを続けたいと最後まで残っていた数人の子が、練習場所を求めて来るようになったのでした。高松市と小豆島の池田町は、高速船に乗って1時間の距離にあり、クルマに乗って海に行く感覚で島に渡れます。

 「実は、小豆島でも少子化や塾通いの影響を受けて海洋クラブに通う子どもの数が以前より減っていました。そのため、高松市の子どもたちを受け入れて活動することは、海洋クラブ自体の活性化にもつながりました」と、陶山さんは振り返ります。

 思えば15年前、内海町B&G海洋クラブの設立を後押ししてくれたのが高松ジュニアヨットクラブでした。ですから、こうした助け合いはごく自然の成り行きだったと言えるでしょう。毎年、島の子どもたちと高松市の子どもたちが10人ほど集まって、共に海に出て練習に励んでいきました。

注目された子どもたち

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高松ヨットハーバーは地元のヨット活動を支える拠点として機能しています。準備体操をする子どもたちの後ろには大学のヨットが並んでいます

 B&G池田海洋クラブに行って、練習を重ねていった高松市の子どもたち。年を追うごとに、その努力が少しずつ開花していきました。

 「島に通った子どもたちは、高校や大学に進んでからもヨットの活動を続けていきました。子どもの頃から熱心に練習していたので、とてもレベルが高く、高校時代に県内トップになった子もいました」

 高松市内には国体の会場にも使用される高松ヨットハーバー(高松市ヨット競技場)があり、地元の高校や大学でヨット部の活動が続けられています。しかし、高校に入ってからヨットを始めても、実質的には1年半ぐらいしか競技活動ができない点が課題になっていました。

 そこで、島に通った子どもたちが高校生になって活躍し始めたことに、香川県のセーリング競技を統括する県連(香川県セーリング連盟)が注目。高校や大学に入ってからヨットを始めるよりも、子どもの頃からの継続的な活動が大事であると考え、高松ジュニアヨットクラブの復活を検討するようになりました。

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陶山さん(左)などから勧められて郷里のジュニアヨット活動を復活させた小野澤さん。ご自身も大学時代にヨットの選手として活躍しました

故郷に戻った適任者

 ジュニアからの育成が大切であることを改めて認識した県連。小豆島で高松市の子どもたちと活動してきた陶山さんを交えてジュニアヨットクラブ再興のプランが練られましたが、誰が子どもたちを指導するかが課題になりました。。

 子どもたちにヨットを広める中心的な人材が欲しい。そのような願いを陶山さんや県連の関係者が抱いていると、まさに適任者と言える指導者が現れました。ヨットの建造メーカーで知られるヤマハ発動機でジュニアヨットスクールの事業に携わる傍ら、ボランティアでも日本ジュニアヨットクラブ連盟の運営を手伝っていた小野澤秀典さんが、定年退職を機に故郷の高松市に戻ってくることになったのです。

 「ヤマハで続けてきたスクールの事業や、ボランティアで運営に関わった日本ジュニアヨットクラブ連盟の仕事を通じて、子どもたちにヨットを教えることに意義を感じていました。ですから、定年後も何らかのかたちで子どもたちのヨット活動を応援したいと考えました」

 そう振り返る小野澤さん。ジュニアヨットクラブ再興の話を聞いて共感し、定年を迎えて高松市に戻ると、さっそく組織づくりに着手。陶山さんや県連の人たちの応援を受けながら、新たなクラブ組織の骨格を作っていきました。(※続きます)

写真提供:B&G高松海洋クラブ