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夢を売る仕事に誇りを持とう!民間意識で活性化を進める徳島市B&G海洋センター(徳島市体育振興公社)


(財)徳島市体育振興公社 理事長:北島孝二さん注目の人
北島 孝二さん


徳島市B&G海洋センター: 昭和57年(1982年)開設。太平洋に注ぐ勝浦川の河口に艇庫を備え、河川敷の野球場や青少年交流プラザ(宿泊施設)に隣接するかたちでプール、体育館が建てられている。

(財)徳島市体育振興公社 理事長:北島孝二さん
昭和15年(1940年)3月生まれ。徳島市出身。学生時代からスポーツ万能選手として活躍し、大手製鉄会社勤務を経て32歳で鉄鋼関連会社を設立。以来、実業家として多忙な日々を送るなかで、さまざまな体育団体の役職を兼任して地元のスポーツ振興に尽力。現在は、(財)徳島市体育振興公社の理事長として市内各体育施設の活性化、ならびに経営の合理化に努めている。


 徳島市には海洋センター(プール、体育館、艇庫)をはじめ、市立体育館や陸上競技場など多数の体育施設があり、30年ほど前から市の外郭団体である(財)徳島市体育振興公社が運営管理を行っています。
 今から3年前には経営の合理化を目指し、スポーツマンで知られる地元の実業家、北島孝二さんに民間活力を取り入れた業務改革が託されました。
 「多くの人に楽しい夢を売る仕事なのですから、体育、レジャー施設のスタッフには誇りを持って働いてもらいたいですね」 そう語る北島さんに、これまでの経緯や今後の展望などをお聞きしました。

第1話:実業家になったスポーツマン

天下を取りたい!

徳島市B&G海洋センターのプール
徳島市B&G海洋センターのプール。青少年交流プラザ(宿泊施設)の隣にあって、夏には多くの利用者で賑わいます

 教育熱心な父親に厳しく育てられた北島孝二さん。兄弟は皆、有名大学に入って親の期待に応えましたが、小中学時代からスポーツ万能選手として周囲の注目を集めていた北島さんだけは、そんな家にいつも反発していました。

 「高校も進学校ではなく、スポーツ校として知られる徳島商業に入って、バスケットボールに熱中しました。当時、頭に描いた進路はスポーツ推薦で大学に入ってオリンピックを目指すか、企業の実業団チームに入るかのどちらかでした」

 しかし、勧誘にやってくる大学は、ことごとく父親に拒絶されてしまい、実業団を持つ企業の就職試験も受けさせてもらえませんでした。

「戦争が終わって10年ほどの頃でしたから、親父はスポーツなんかでメシが食えるはずはないと思っていたのです。実業団の話をしたときも、『今はいいかも知れないが、年を取ったらどうするんだ』と言い張るばかりでした」

意見が合わず、とうとう父親と喧嘩をしてしまった北島さん。もう家を出るしかないと決心して、神戸の大手製鉄会社に就職。バスケットボールに励みながら、製鉄の仕事を徹底的に学びました。

「家が製鉄関係の仕事をしていたことから、この会社には親近感がありました。そして、社会に出た以上は天下を取りたい(起業して成功したい)という思いがあったので、寝る間を惜しんで鉄のビジネスを勉強しました」


実業家の手腕に頼れ!

海洋センター施設 海洋センター施設は広大な敷地のなかに建てられています。中央の建物が海洋センターの体育館で、左が市の青少年交流プラザ(宿泊施設)、そして写真の後方には海洋センターのプールが控えています

2年後、ひと通り鉄の仕事を学んだ北島さんは会社を辞めて父親と和解し、製鉄関係の家業を手伝い始めました。しかし、それは家を継ぐという意味ではなく、あくまでも起業を目指して仕事のノウハウを高めるためでした。

「家に戻って10年ほど辛抱した後、相続権を一切放棄して独立しました。昭和47年、32歳のときでした。家業を通じて馴染みのできていた銀行に直談判して資金を借り、鉄鋼原料を製鉄工場に納入する会社を興しました」

北島さんは、港に自前の荷揚げヤードを造るなど事業の効率化を進めて業績を伸ばし、会社を軌道に載せてからは大好きなスポーツにも力を入れるようになりました。

「平成に入ってから県のバスケットボール協会の会長を務め、数年後に控えていた地元の東四国国体に備えました。徳島県のバスケットボールと言えば、それまで全国大会で50年間に1回しか勝っていない弱小県でした。そのため、私は会社員時代に培った選手の人脈を頼りに県代表チームの強化を進め、地元の国体で優勝することができました」

海洋センター艇庫は民間マリーナに隣接
海洋センター艇庫は民間マリーナに隣接するかたちで勝浦川の河口に設けられており、スロープも用意されています

そんな活躍ぶりから、徳島市の体育施設を運営管理する(財)徳島市体育振興公社の理事も務めるようになりましたが、いまから3年前に大きな転機が訪れました。徳島市の体育施設は、複数の企業が参加する指定管理入札によって3年ごとに運営管理の委託先を決めることになったのです。

最初の入札は、この取り決めができた1年後になりました。それまでに、同公社は経費削減や事業の効率化を進めて指定管理入札を勝ち抜くだけの競争力を身につけなければなりません。

この難題を乗り切るためには実業家の腕に頼るしかないということになり、理事の1人だった北島さんに白羽の矢が立てられました。急遽、北島さんは理事長として公社の経営に直接関わるようになり、30年続いた事業の改革が始まりました。(※続きます)