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帆船を通じて、自然の偉大さと人の輪の大切さを伝えたい〜海に夢を託した、練習帆船<海王丸>の雨宮伊作キャプテン〜


雨宮 伊作さん注目の人
雨宮 伊作 キャプテン


1957年、山梨県生まれ。子どもの頃から長野県野尻湖へキャンプに出かけ、カッター、ローボートを経験。同時に、英国の児童文学作家アーサー・ランサムによる海洋少年冒険小説「ツバメ号とアマゾン号」シリーズに感銘を受け、海や帆船の世界に憧れを抱く。
東京海洋大学(旧:東京商船大学)卒業後、独立行政法人 航海訓練所に勤務。以後、練習帆船<日本丸>、<海王丸>などの航海士を務め、船員を育成する教官としても活躍。
現在は<海王丸>船長。


 海運の主役は動力船に移りましたが、いまでも帆船は船員を育てるために使われています。帆船に乗れば風や波といった自然の力を理解しやすいうえ、皆で力を合わせて大きなセール(帆)を扱うことから、協調性や規律の大切さなどが学べるからです。

 我が国でも、<日本丸>と<海王丸>という世界に誇る2隻の大型帆船が就航しており、<海王丸>に至っては一般参加のスケジュールも組まれています。B&G財団でも、昨年度は指導者育成事業の一環として、<海王丸>の練習航海に参加する「指導者フォローアップ研修」を実施。18名の海洋センター・クラブ指導者が、3泊4日の航海でさまざまなことを学びました。
海から戻っても、一般公開・見学などの予定がぎっしり詰まっているという<海王丸>。今回は、同船の雨宮伊作キャプテンに、海や帆船の話をいろいろお聞きしました。

 

海王丸 海王丸

 旧文部省所轄の航海練習船として、1930年に初代<海王丸>が誕生。その後、1989年に後継の<海王丸>二世が進水し、現在に至る。二世誕生当時は、民間活力の導入が叫ばれていた時代で、政府の補助金のみならず、民間の寄付等によって資金を調達。そのため、一般民間人の体験乗船も配慮されるようになった。現在は、独立行政法人 航海訓練所が運行を担っている。

 船型:4檣バーク型帆船 全長:110.09m 総トン数:2,556t メインマスト高:55.02m 速力:13ノット 最大乗員:199名 

第2話:船乗りの世界へ!

願ってもない就職先

スエズ運河にて列をつくってスエズ運河を航行する大型船舶。海運業は激しい国際競争の時代を迎えていますが、航海訓練所の実習を経て雨宮キャプテンの後輩たちがどんどん育っています
  雨宮キャプテンが旧東京商船大学に進学した1970年代は、海運の仕事がコストの低い外国にどんどん移っていった時代でした。雨宮キャプテンは、入学式の当日、先輩が話した言葉をいまでも忘れられないそうです。

 「私たち新入生を前にして、先輩は『船に乗りたくて我が校に来たのなら、それは間違いだ』とおっしゃいました。海運業は外国勢に押され、日本の船会社でさえ賃金の安い外国の船員を雇う傾向にありましたから、私たちのような若い船乗り予備軍は、この先どうなっていくのか分からない状況だったのです」

 それでも、雨宮キャプテンはまったく不安を抱きませんでした。好きで選んだ道なのだから、迷うことなんてなかったのです。幸いにも、在学中に就職状況が改善されはじめ、卒業した年には、例年よりは多くの仲間が船会社に就職。雨宮キャプテンの場合は、うれしいことに航海訓練所から声をかけてもらいました。

 航海訓練所に就職すれば、<日本丸>、<海王丸>といった大好きな帆船に航海士として乗り込むことができます。このまたとない就職の話を、雨宮キャプテンが断るはずもありませんでした。



手術も手伝う航海士

研修風景 〈海王丸〉で実習生を指導する教官。航海訓練所に務める航海士は、船を操船しながら後輩を指導する役目も担います
  「航海訓練所に就職できたことはとてもうれしいことでしたが、練習船に乗るわけですから、他の船のように航海士だけの仕事をしていれば済むというものではありません。私たちは航海士でもあり、教官でもあるわけです。船を運航しつつ、実習生1人1人と接しながら操船や航海術などを教えます。学生の命を預かるわけですから、その責任は重大です」

 船を安全に走らせるだけでも大変な仕事なのに、学生の世話もしなくてはいけない航海訓練所の航海士。洋上で起きたトラブルに関しては、知恵を絞ってその場でできる最大の処置をしなければなりません。

 「汽船での実習でしたが、地中海を走っていて盲腸の急患が出てしまい、人手不足のため私が手術を手伝ったこともありました。麻酔液が脊髄の中を移動すると、中枢神経を刺激して呼吸困難になる場合があるので、揺れる船の上で手術をする際は、なるべく液が移動しないよう少なめの麻酔薬を使って手早く済ませます。

 このときも短時間で手術をしなければならなかったので、脇目も振らずにお腹を開ける手伝いをしたら、ドクターに褒められました。人のお腹にメスを入れる現場に初めて立ち会うと、気絶してしまう人が多いそうだからです」


セイリングを極めたい

銀河丸航海訓練所には、2隻の帆船に加えて写真の〈銀河丸〉をはじめとする3隻の汽船が配備されています
  航海訓練所に就職する航海士で、帆船の勤務を嫌がる人はいません。練習船の数では動力船のほうが多いものの、皆、<日本丸>や<海王丸>に少なからず憧れを抱いているそうです。雨宮キャプテンの場合、航海訓練所に入って一年足らずのうちに乗船した船は、幸運にも<日本丸>でした。

 「帆船の航海士として、最初の2年間を<日本丸>で過ごしました。当時は、ハワイまでの遠洋航海を年2回、<海王丸>と一緒のスケジュールでこなしていました。つまり、ヨーイドンで2隻の帆船がハワイをめざすわけです。ところが、2年間で4回あった航海で、私が乗った<日本丸>は一度も<海王丸>の前を走ることができませんでした」


セイルの展開 号令とともにセイルの展開に向かう実習生たち。どんな風が吹いたら、どれだけの数のセイルをどのような向きで張ればいいのか…。雨宮キャプテンは、セイリングの奥の深さに魅せられていきました
  なぜ、自分が乗る<日本丸>が<海王丸>より速く走ることができないのか、頭を悩ませた雨宮キャプテン。単独の航海だったら気になることもなかったのでしょうが、2隻で走り比べができる航海を通じて、雨宮キャプテンはセイリング(帆走)技術に関心を寄せていきました。

 「先人が築いてきたセイリング技術を勉強してみたいと思うようになり、以来、今日に至るまで実習航海を通じていろいろな帆走実験をしながらセイリングを研究してきました。これも、ひとえに2隻の帆船が同時に走った貴重な経験が元になっています」

 どのように風や波と向かい合ったら、帆船やヨットを安全かつ速く走らせることができるか…。練習帆船の航海士を務めながら、セイリングに関するいろいろな研究会に足を運び、自らの研究や実験の成果を発表するようになっていった雨宮キャプテン。そうした努力は、やがて国際帆船レースという大きな舞台で試されることになりました。(※続きます)