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語り:稲谷耕一さん

 平成12年度から3年間にわたり、当時のB&G東京海洋センターでは、毎年水のシーズンになると東京都江東区とタイアップしながら、区の親水公園を活用して「カヌーピアザ江東」という無料カヌー体験教室を開催していました。この企画は、小学生から熟年層まで誰でも参加できるとあって盛況を呈し、毎年1000名近い数の人たちがカヌーを楽しみましたが、その輪の中に当時中学生だった稲谷耕一君の姿もありました。
 稲谷君は、小学6年生の頃から不登校に悩んでいましたが、カヌーの楽しさを知ってからは教室の準備や後片付けを率先して手伝うようになり、2年目からはスタッフとして教室を訪れる小学生たちの指導も担当。そんな経験を通じて学校に行く自信を取り戻し、現在は全寮制の高校で勉強や部活に励んでいます。
 「今ある自分は、カヌーとB&Gの人たちのおかげです」と語る稲谷君。カヌーと出会って不登校を克服した、4年間の軌跡を追ってみました。

 
   

指導スタッフとなった稲谷くん
☆カヌーピアザ江東☆


 
 春が来て、また開催されるようになったカヌーピアザ江東。待ってましたとばかりに稲谷君が会場の親水公園に足を運ぶと、そこには坂倉課長をはじめとするB&G東京海洋センター・スタッフの笑顔がありました。
 「稲谷君、またよろしく頼むよ。今日からは、これを着てね」
 そう言いながら稲谷君の肩を叩く坂倉課長。手には、指導スタッフだけが着るパープルのライフジャケットがありました。
 「彼は、まだ上級レベルではありませんでしたが、基礎がしっかりできていましたから、水の上で子どもたちを誘導するぐらいは任せられると判断しました。そして、なにより前の年には誰よりも早く来て準備を手伝い、誰よりも遅くまで残って後片付けを手伝ってくれましたから、この教室でスタッフが何をしたらいいのかということを知り尽くしていました」と、坂倉課長は振り返ります。
 家から外に出してあげたい一心で、お母さんが勧めてくれたこの教室。稲谷君が指導スタッフになるとは、いったい誰が想像できたことでしょうか。
 「パープルのライフジャケットを手渡されたときは、それはうれしかったですね。こんなに人から信頼されたのは、生まれて初めてのことでした」
 もう、単なるお手伝いではなくなってしまった稲谷君。スタッフの仕事は大変だったそうですが、その大変さも楽しさの1つだったと振り返ります。この年のカヌーピアザ江東では、毎週、子どもたちの先頭に立ってカヌーを漕ぐ稲谷君の姿がありました。

 

 カヌーを通じて人のために汗をかくことの喜びを得た稲谷君でしたが、その一方、どうしても解決しなければならない大きな問題がありました。この年、稲谷君は中学3年生になっていたので、高校への進学が待っていたのです。カヌーピアザ江東には必ず足を運んでいたものの、学校にはどうしても通うことができずにいましたから、このままでは進路を決めることができません。本人にとっても家族にとっても悩みは深刻でした。
 「自分としては、物理を勉強して将来は学者になりたいという気持ちがありました。それなら、どうしても進学しなければなりませんから、かなり辛い毎日を過ごしていました。学者になりたい希望があるのに学校には行けないという苦しい思いは母にも言いにくい、というか言えませんでした。心配してくれた父や母の姿を見ると、とても口には出せなかったのです」
 思い切って高校には行かず、家で勉強して大学の受験検定を受けようかとも考えたそうですが、それでも結局のところは大学に通わなければなりません。これまで不登校を余儀なくされていた自分が、果たして大学だけはしっかり通うことができるのだろうか? そんな疑問を自分にぶつけてみると、答えは1つしかありませんでした。将来の希望を叶えるためには、ここでどうしても不登校を乗り越えなければならなかったのです。

 なんとしても高校に行くと決心した稲谷君は、ある日、お父さんが探してくれた2つの高校に強い関心を寄せました。いずれも寮のある学校でした。
 「よく考えてみると、これまでは家で生活しているという甘えがありました。学校に行くことができなくても、家にいることはできたわけです。ですから、いっそうのこと学校の寮に入ってしまえば、不登校も解決できるのではないかという気がしました。生活の場を学校の中に設けてしまえば、もう逃げ場はありませんから、学校に行けないなどという問題は起きないのです」
 自分で自分を強制的に学校の中へ飛び込ませたと語る稲谷君。寮に入っても胃痛や頭痛に悩まされる心配はありましたが、それは敢えて考えないことにしたそうです。不登校を克服するにはこの方法しかないと、自分に言い聞かせた強い意志を感じます。2校あった候補のうち1校は個室の寮だったため、稲谷君は「これでは家にいるのと変わらない」と、あっさり却下してしまいました。
しかし、残ったもう1校、三重県の日生学園は、入学当初4人で2室(寝室と勉強部屋)を分け合う生活で、同室には上級生もいました。
「この環境だったら自分に試練を与えられると思い、もうここでやるしかないって感じました」
 4年間も不登校で悩んできた苦しさを思えば、このときの決断などはまったく辛くなかったと言う稲谷君。生活の場を学校に求めてしまえば不登校を克服できると、まさに逆転の発想で自らを奮い立たせた勇気には、感心させられます。


   

稲谷くんと坂倉さん(B&G職員)

 東京の実家を離れ、三重県の日生学園で新たな生活を始めた稲谷君でしたが、幸いにも寮生活を通じて胃痛や頭痛に悩まされることはありませんでした。現在、3年生(中学からの一環教育のため、日生学園では6年生)になった稲谷君は、勉強や部活に忙しい日々を送りながら来春の大学受験をめざしています。
 「同じ部屋の同級生に勧められて演劇部に入りましたが、夏場に演劇の大会があるので、夏休みも家には帰らず寮で暮らしています。家に帰ると交通費が掛かりますから、あまり親には迷惑をかけたくないという気持ちもあるんですよ(笑)」
演劇部にいるため、学校の行事があるたびに舞台裏の段取りや進行等で駆り出されるという稲谷君。ここでも手伝い事に喜んで汗を流しており、大学に進んだら楽器もやりたいと意欲を見せています。
 「なんだか生きることに貪欲になったような気がしますが、これはひとえにカヌーと出会ったおかげです。カヌーと出会っていなかったら、家の外に出られないまま高校進学への一歩を踏み出すことができなかったと思います。カヌーピアザ江東に参加したことで、今のボクのすべてが始まったと言っても過言ではありません。カヌーに乗ってみたいと勇気を出して一歩踏み込んだら、本当に楽しい世界が待っていたわけで、その経験が生きることへの積極性につながりました」
 社会人になったら、カヌーを教えてくれたB&G財団のスタッフのように、明るく楽しく仕事をしたいと語る稲谷君。その歯切れの良い口調からは、かつて不登校で苦しい思いをしていたときの稲谷君は、なかなか想像することができません。
 「不登校が続いていたとき、私たちもいろいろ手を尽くしましたが、親が背中を押すだけでは限界がありました。そんな矢先に、B&G財団の皆さんが耕一を引っ張り上げてくださいました。カヌーのお手伝いをさせてくださったことが、耕一にとって生きる自信につながったのだと思います」
 かつては、なんとか稲谷君を家の外に出してあげたいと願っていたお母さん。ところが、いまでは「高校に入ってから全然帰ってこない耕一を見ていて、がんばり過ぎてパンクしないだろうか? 本人も『カヌーに乗りたい!』と言っているのだから、せめて夏休みぐらいはカヌーに乗れるところを探してガス抜きをさせたい!なんて思っているのですが、そんな親の心配どこ吹く風で、『忙しいから夏休みは帰れないし、カヌーにも乗りたいけれど無理だぁー』と毎年言ってきます」とのこと。
 これはこれで、親としては少々心配なところですが、「カヌーで転覆しても、すぐ起き上がってしまう子ですから、きっと何があっても大丈夫でしょう(笑)」と語っていました。私たちも、カヌーが大好きな物理学者の誕生を心待ちにしています。


第3話  

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