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語り:「すさみ町立エビとカニの水族館」館長 森 拓也さん

■プロフィール
1953年、三重県四日市市生まれ。東海大学海洋学部水産学科卒業後、鳥羽水族館入社。パラオの信託統治領生物学研究所(現パラオ生物学研究所)自然保護局に研究員として出向後、世界各国で海洋生物の国際共同研究プロジェクトを手がける一方、鳥羽水族館において世界で初めてジュゴンの長期飼育に成功。1997年、同水族館退社。現在、和歌山県すさみ町の「すさみ町立エビとカニの水族館」館長、水族応用生態研究所所長。学芸員
ジュゴンの飼育に関するパイオニアとしてのみならず、デパートの催事場を利用した移動水族館やエビとカニだけを集めた水族館などを実現させて、多くの人々の共感を集めている海洋学者、森 拓也さん。かつては、B&G財団の機関誌「シーコム」でも連載コラムを担当していただき、今年3月に開催されたB&G体験クルーズでは講師の1人として乗船し、小笠原にやってくるクジラの生態について楽しい講演を披露してくださいました。そのクルーズの道中、本誌アンドリーでは森さんが海洋学者を志した動機やこれまでの活動の経緯など、さまざまな話をお聞きしたので、ここに連載でご紹介します。
   


すさみ町立エビとカニの水族館

 森 拓也さんは、日本が戦後の高度経済成長期を迎えようとしていた1953年に、現在は重工業地域として知られる三重県の四日市に生まれました。
 「今は、石油コンビナートで知られるところですが、私が子どもの頃はきれいな浜が広がっていて、よく自転車に乗っては海に遊びに行っていました」
 育った土地柄もあって、海が大好きになった森さん。生き物から船に至るまで、海に関するものなら何でも興味がわいたそうです。
 「まさに好奇心のかたまりでしたね。海で遊んでいると、さまざまな『なんだろう?どうしてなんだろう?』という疑問に出会います」そんな森さんの旺盛な知識欲に応えてくれたのが、ご両親でした。
 「私の親は、誕生日やクリスマスなど特別な日になると、必ず「海岸動物図鑑」とか「日本魚類図鑑」といった、シリーズになっている図鑑を一冊だけプレゼントしてくれました。図鑑を見れば、海でみつけた不思議を解き明かすことができると思ってページをめくるのですが、プレゼントされる図鑑はシリーズの中の一冊に過ぎません。ですから、疑問が解明できないこともあるわけで、そんな場合は次のプレゼントに期待するしかありません。しかたがないので、待っている間は手にした図鑑を読み漁って別の不思議を解いていくことになります。思えば、この一冊づつのプレゼントが私の知識欲をどんどん高めてくれました。意識的に一冊づつ買い与えたのか、それとも一度にシリーズすべてを買う余裕がなかったのか定かではありませんが、こうして私は海の不思議の虜になっていきました。おそらく、一度にシリーズ全巻が揃ってしまったら、そのボリュームに圧倒されて一冊づつ熟読していなかったと思います」

 
ニューカレドニアにて

 このような少年時代を送るなかで、当然のことながら森さんは将来の希望を海に託したいと思うようになっていきます。
 「幼い頃は魚屋さんになりたいと思いましたが、ある程度物事を理解できる年頃になると、船を使って海に出る仕事か、海に出ていろいろなことを調べる仕事に就きたいと願うようになりました。今でもそうですが、海そのものと同じぐらい船も大好きなんです。ですから、船の模型はよく作りましたし、四日市の港で開催される自衛艦の観艦式や乗艦公開の行事があると必ず参加していました」
 南洋の丸木舟から豪華客船までをモチーフに、さまざまなエッセイを記した「舟と船の物語」(発行:舵社)のように、船に関する著書も出すほど船好きの森さん。一時は、真剣に防衛大学をめざして自衛艦に乗りたいと考えたそうですが、一人っ子なのでご両親を心配させたくないと思い止まったそうです。
 船も好きで海も好き、どちらを取るのか悩んだこともあった森さん。しかし、現在の仕事を選ぶ道しるべは中学生時代からすでに用意されていたのでした。
 「年越し前に伊勢神宮で初詣を済ませ、その足で新年早々、鳥羽水族館を訪れるという習慣が中学生時代から始まり、大学を出るまで続きました。毎年、妙な学生が正月早々一番乗りでやってくると水族館のスタッフの中で話題になり、とうとう館長さんとも親しい仲になってしまいました」
 今でも森さんが最大の恩師と尊敬してやまないその館長さんは、森さんを我が子のようにかわいがってくれ、いっしょに食事をしながら海の生き物に関するさまざまな質問に答えてくれました。
 やがて、「大学を出たらウチに来いよ」と館長さんに勧められるようになり、森さんの口からも「お願いします」という言葉が自然に出ていました。船が好きで自衛艦に乗りたいと思ったこともあった森さんでしたが、館長さんとの深い交流がそんな迷いを最終的に振り払ってくれたのでした。


   

ヤップ島にて(石貨の前で撮影)

 高校を卒業すると、森さんは東海大学海洋学部水産学科へ進学しました。当時、東海大学以外で海洋学部と名のつく学部を持つ大学はなく、その名の響きにも惹かれたといいます。
 「名前が気に入ったうえ、この学部では2隻の実習船を所有しています。水産学を勉強する一方、船に乗って大海原に出られるとあって、進学するならここしかないと思いましたね」
 実際、森さんは大学の実習船に乗って貴重な経験をたくさん積むことになりました。
 「まず味わったのは、遠洋航海に出て太平洋の広さを肌で感じたことでした。B&G体験クルーズで子どもたちが得る感動とまったく一緒ですね。360度、どこを見渡しても海と空だけで、島もない。大海原に出て初めて、『ああ、やっぱり地球は丸いんだ』って実感することができました」
 純粋な乗客としてではなく、実習生やB&G体験クルーズのようなセミナーの参加者として航海に出ることは、実に貴重な経験になると森さんは言います。
 「B&G体験クルーズでも、集合が掛かるたびに時間の厳守が言われましたが、船の世界で5分前の集合は当然のことです。船が出港するにあたっては、『5分後に船出をする』という意味の国際信号旗を必ずマストに掲揚し、周囲に汽笛で知らせます。なぜなら、何か不備があったまま大海原に出てしまうと、船の場合、簡単に引き返すことができないからです。そのため、出港以外のときでも常に時間の厳守を心掛けておく必要があるわけです。また、服装のチェックも厳しいのが船の世界の常識ですが、身だしなみという日常的な作法からしっかりしていないと、どこかでルーズな面が出てしまって大きなミスにつながることもあるのです。実習船では、『トビラの敷居は踏むな』とよく言われましたが、これにもちゃんとした理由があります。船のトビラには浸水を防ぐ役割もあって、敷居に埋められたパッキンを踏んでいると劣化してしまい、いざというときに浸水を招いてしまうおそれがあるわけです」
 厳しいルールには、それなりの意味があるということを、船の世界では教えてくれます。森さんも実習船で身をもって知ることになりましたが、その一方で、一般の旅行ではなかなか得ることのない感動的なシーンにも、たくさん出会うことになりました。
 「今でこそ変わりましたが、私が卒論を書くために実習船で訪れた当時、ヤップ島では女性でも上半身裸が正装でした。彼女たちには裸だから恥ずかしいという意識はなく、むしろ衣服をまとうことを恥ずかしがっていましたから、実に強烈なカルチャーショックを感じました。南洋の島で暮らす人々は、不便だけど不便さを感じないで、まさに自然に溶け込みながら生きているわけです。それはそれで実に幸せなことだなって思いました」
 卒論で南洋群島の調査に力を入れたこともあって、森さんは大学の恩師からパラオの生物学研究所へ行くことを勧められます。ここは戦前サンゴ研究の基礎を築いた世界的に有名な研究所があったところですが、行くとなれば研究所に籍を置くことになるので、ひとまず就職はあきらめなくてはなりません。そこで、森さんの脳裏には「大学を出たらウチに来い」と声を掛けてくれた、鳥羽水族館の館長さんの笑顔がよぎりました。研究所か水族館か、大学の卒業を控えた森さんに、1つの大きな決断が迫られることになりました。


  続く 第2話

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