「ハンセン病の根絶を目指して」
私は世界のハンセン病の制圧活動に30年以上かかわってきました。私の父で、日本財団(日本船舶振興会)の創設者である笹川良一(1899〜1995)は、ハンセン病患者を救済する仕事を日本財団の創設時(1962年)から行ってきました。私はその父と一緒に仕事をし、父の遺志をついでハンセン病根絶(注)をライフワークとしたのであります。父は、幼少のころ村の美しい女性がハンセン病の患者であったがために結婚することもできず、外にも出られずやがて姿を消したという悲劇に遭遇し、ハンセン病を心から憎みこの世界から消滅させることを心に誓っていました。今私も同じ誓いをもってこの病気の根絶のために世界保健機関(WHO)のハンセン病制圧特別大使として真剣な努力を行っているところであります。
〇八ンセン病制圧の現況
ハンセン病は、社会的差別をともなう病気としていままで人類を苦しめてきました。この病気については古来から世界各地の数々の文書に記載がみられ、新・旧約聖書、中国の古文書、紀元前6世紀のインドの古書などにも記述があります。
長い歴史を通して不治の病とされていたハンセン病は、1940年代のダプソンの開発で治癒への望みがうまれ、1980年代にMDTという多剤併用療法が確立したことで、治る病気になりました。MDTは3つの薬から成ります。これらはダプソン、リファンピシン、クロファジミンという薬でこれら3種類の併用でらい菌を殺しハンセン病を治します。このMDTの開発により、世界のハンセン病の状況は大きく変わることとなりました。
私が理事長を務める日本財団は、1974年に父笹川良一が設立した笹川記念保健協力財団やWHOを通して世界のハンセン病制圧活動に対していままでに合計約200億円の援助をしてまいりました。特に1994年から50億円の資金供与を行い、5年間にわたってMDTを全世界に無料配布いたしました。現在はノバルティスという製薬会社が継続してMDTを無料配布してくれるようになりましたが、このような支援がハンセン病の患者数の激減に果たした役割は極めて大きいと自負しております。今日では、世界中のどこでも、MDTは無料で供与されています。
1985年には世界の122ヶ国でハンセン病が公衆衛生病(人口1万人に1人以上の有病率)とされていました。その後WHOは、1991年の第44回世界保健総会で、2000年末までに公衆衛生上の問題としてのハンセン病を制圧(注)するという決議を出しました。現在までに世界総人口比ではこの目標は達成されましたが、最終的には、2005年末までにすべての国で制圧を達成するという目標が設定されて今日にいたっています。この間にWHO、各国政府、国際機関、NGOなどの献身的な努力により、ハンセン病の制圧は世界の116ヶ国で達成され、患者数もMDTの利用により1985年の1200万人から現在は60万人へと激減しました。その結果、現在も制圧が未達成な国は主に6ヶ国を残すのみとなり、これらの国に患者の88%が集中しています。これらは、2002年末までは、インド、ブラジル、ミャンマー、ネパール、マダガスカル、モザンビークの各国でありましたが、2003年1月にはミャンマーが患者数1万人の人口に1人以下の制圧を達成しました。しかしながら、最近、アンゴラの患者数が増えたことにより、現時点での主要未達成国数は変わらず6ヶ国となっております。
長い間人類を苦しめてきた難病もいまやその制圧は時間の問題というところまで来たのであります。
しかしながら、「百里の道のりは九十九里をもってなかばとする」というように、最後の一里の道を歩き通すことはたやすいことではありません。WHOはその最後の努力を達成するために1999年に「ハンセン病制圧のための世界同盟(グローバル・アライアンス)」を結成しました。グローバル・アライアンスは、WHO、世界銀行、蔓延国の政府、日本財団、笹川記念保健協力財団、ノバルティス財団などのような国際組織、そしてさまざまなNGOが、2005年までに、各国でハンセン病の有病率を1万人に1人以下にするという明確な数値目標のもとに、努力を結集してハンセン病制圧を進めるための連合体であります。
私は、2001年の第1回のグローバル・アライアンス会議がインドで行われた折に、WHOハンセン病制圧特別大使に任命されました。以来私は、このハンセン病制圧を私に与えられた最も重要な仕事と自覚して、各国で精力的な活動に従事してきました。
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